【前回の記事を読む】父が自衛隊生活に耐えながらコツコツ貯めた学費は、友人に盗まれて、全部使われてしまった。戻らなかった。だが父は「一宿一飯の恩義だ」と…

第三章 なれそめ

東京での二人の新生活は、四畳半ひと間のアパートに卓袱台がひとつだけという貧しいものだった。それでは困るだろうと、父さんの友人がお祝いとして鍋と夫婦茶碗を贈ってくれたそうだ。若かった二人はそれでも幸せだったのだろう。

そうこうしているうちに、母さんはすぐに身ごもった。妊娠六カ月になろうかという昭和三十七年の年明けに、母さんの兄弟三人が神戸の港から船でブラジルへ出発する日が来た。東京へ来て半年が過ぎて、そろそろホームシックにもなり、初産の不安も抱えていた母さんは、手縫いのおむつを山ほど抱えて神戸から出発する三人の兄弟を見送りに行った。そのまま両親と合流して里帰り出産するつもりであった。

しかし、大きなお腹になった一人娘を見て両親はそれを許さなかった。

「そのお腹の子が無事に生まれて、じいちゃん、ばあちゃんと言葉が話せるようになるまで絶対に帰ってくるな」

母さんの駆け落ちのせいで家族がバラバラになった上に、勝手な結婚で孕(はら)んだ娘を受け入れるほど両親に気持ちの余裕がないのは当然とも言えた。母さんは持参してきた山のようなオムツを再び抱えて、一人泣きながら帰京した。

それでもばあちゃんが臨月の頃に上京して出産の手伝いにわざわざ来てくれたのだが、父さんがお腹の大きい母さんを殴るのを見て、あまりのむごさに耐えきれずに帰ってしまった。

どちらの両親からも結婚に反対される中、母さんは二十二歳の春に長男サトシを産んだ。

「サトシ」という名前はプロ野球選手の中西サトシが本塁打を放った時に、「生まれた」と知らせが来たのでそう名付けたという。どうやら父さんは病院にも行かず、家で野球中継を見ていたようだ。

一年後、母さんは再び妊娠をしたが、貧しい生活の中でとても出産できないと考えて、父さんに黙って堕胎する。その頃にはもう離婚したいと考え始めていた。生活は苦しく、父さんの大学卒業までの約束で、サトシは二歳になると香川の母さんの実家へ一年半ほど預けられた。