【前回の記事を読む】3浪中の先輩が“したり顔”で放った言葉にハッとした。正論すぎる正論だったが、親のコネも才能も何もなかった当時の自分には…

第1章 中学・高校編

猫と難病患者
「動物の病気はがんばれば治るから、ワタシもがんばれます」

“一期一会”をテーマに、この物語は進んでいる。その対象は多くの場合“人”だが、“動物”においてもそれはある。幼少期から大学生の途中までの15年間、わが家では1匹の“猫”を飼っていた。

これは僕が小学1年のときの話だが、夜、縁側の戸をひっかく物音がするのに気付いた。雨戸を開けたところ1匹の茶トラの仔猫がいて、寂しそうに泣いていた。そんなことがあれば運命としか言いようがない。仔猫なんていう動物はどう見たって可愛い。姉と一緒に両親を説得して、飼わせてもらうことにした。尻尾が極端に短いのが特徴だったけれど、普通の雑種だった。

突然わが家に迷い込んできたものだから、名前を考える暇などなかった。三毛猫ではなかったけれど、猫と言えば“ミケ”、イメージだけで安直に名付けてしまった。そのとき『サザエさん』が放映されていれば、“タマ”になっていたかもしれない。まさかこんなに長生きをするとは思わなかったが、このときは、家庭に住人(住猫)が増えたことが嬉しかった。

わが家は、どこにでもあるような普通の平屋だったので、基本的には野放し状態。自由に出て行って、自由に帰ってくる。エサ置き場は決まっていたけれど、トイレはなかったような気がする。

そういう飼い方をしていれば、散歩に連れて行く必要もないし、遊んであげる必要もない。好きなときだけ適当にかまってあげればいい。猫はマイペースだから、相手にしなくてもそれほどストレスを感じることはない。

スズメやネズミを狩ってきては見せびらかす、人を高いところから降りる時のクッションとして利用する、飼い主の大切にしているものをなぎ倒す、寝ていると「布団の中に入れろ」と顔をパシパシ叩く、風呂に入っていると心配して見にくるという、期待通りの“猫あるある”にしたがった典型的な日本猫だった。

キャットフードを一度もあげたことがなく、ご飯に鰹節をまぶしただけとか、煮干しを乗せただけとかいう、いわゆる“猫マンマ”的なものを食べさせていたが、病気には一度もかからなかった。晩年、母親に「なんで、うちのミケはこんなに長生きなんだろう?」と尋ねたら、間髪入れずに、「粗食だからよ」と答えてくれた。

うちの母親は料理を作るのが極端に下手だった。というか、調理法を知らず、うどんすらまともに作れなかった。母には「贅沢をする必要はない」という気持ちが、骨の髄まで染みこんでいた。僕にでさえ粗末なものしか与えないのだから、猫なんてものは、それ以下の以下だ。