喜劇王
二昔前のおぼろげな思い出です。知的障害者福祉作業所の設立記念日の式典に、槐は呼ばれました。ただの挨拶ではつまりません。
チャップリン映画『黄金狂時代』の、靴に見立てたフランスパンにフォークを刺し、踊りだす夢の場面を真似して、寸劇を準備しました。
当日、作業所の利用者一〇名ほど、晴れがましい記念式典に、よそいきの顔をして座っています。その周りを、支援する保護者の方々やスタッフが一〇名ほど囲んでいます。
いよいよ槐の番です。フォークで刺した二本のフランスパンを持って演台に立ちました。
槐はぺこりと、フランスパンに頭を下げると、みんなの視線がフランスパンの靴に集まりました。
「皆さんこんにちは、この作業所ができてから今日まで頑張ってきましたね。その記念の日です、おめでとうございます。皆さんと一緒にお祝いをしましょう」
フランスパンの靴は、演台を左右に歩き、挨拶しました。
「皆さんと一緒に、今日は歌って踊りたいです。ずっと昔に流行った『黒ネコのタンゴ』は、皆さん知っていますね」
槐は二本のフランスパンを歩かせ、滑らせ、ドタバタさせて演台をいっぱい使いながら、歌詞に合わせて足を上げ、
ステップを踏み、フランスパンに合わせて、会場から歌声や手拍子が聞こえてきました。映画でチャップリンは、スケートで転びそうで転ばない器用な滑りをしますが、槐も大きい足のフランスパンを前進させ後退させ、織り交ぜて滑り、ついには八の字になり「助けて~~」で演じ終えました。
喜劇王チャップリンを真似て笑いを誘い、心を一つにすることができました。かけがえのない作業所の仲間たちと一緒に喜びました。
チャップリンにいつか天国でお会いし、権力にも財力にもおもねらず、終始庶民の側に立って「笑い」を提供してくれた、お礼を伝えたいです。
それはそうでしょ
針孔通しの名人
「リュックが重くて、頂上になかなか着かない、ヨッコラショ、ヨッコラショ」と、九〇歳を超えたツクシさんが後見人の槐に言いました。
「エッ」と驚き、咄嗟に「重い荷物を背負わせてごめんね」と言葉を返すのがやっとでした。
二〇〇八年の師走でした。
槐は妻に付き添われ入院しているツクシさんを面会した時のことです。
肘を骨折したツクシさんは、ベッドに足を固定され、両手はミトン(二股の手袋)をはめられ、ギプスの腕は固定されていました
。体はマットのベルトで締められて動けませんでした。ツクシさんは直ぐに忘れてしまいますが、周囲に迷惑をかけない、よく分かる人なのです。拘束なんかしたら、ツクシさんがおかしくなっちゃいます。
槐は、妻と交代してしばらく傍に付き添いました。そして看護師さんに「ツクシさんを自由にしてください」とお願いしました。
早々に暮らしていたグループホームへ退院し通院で治療が可能になりました。腕の良い紳士服の仕立て職人だったツクシさんは、ホームに戻ると毎日雑巾を縫いました。
役に立つ喜びの表情がツクシさんに戻ってきました。槐に、糸を針孔に通すところを見せてくれました。
穴は見えなくとも、長年とった杵柄で、糸は難なく針孔を通過し槐は驚きました。やっぱり早く退院できてよかったと思いました。
ツクシさん夫婦は、お互いに助け合い、仲良くグループホームで暮らしています。
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