【前回の記事を読む】「もし、わたしがその人の妻だったら」親友が口にした“万葉の恋”は、少女趣味では済まない危うさを感じさせた
豊島郡衙(としまぐんが)
「郡衙があったということは、同時に、その地方への中央政権による支配権が租税の徴収という形で確立していたことを意味するわけね」
「その郡衙という行政機関は、日本のどの地方まで広がっていたの」
「遺跡が現在の宮城県の名取付近から熊本県の玉名地方にかけてかなり広範囲に分布していることから見て、九州の南部や北海道、そして東北の一部を除いてほぼ日本全域に広がっていたと言ってもいいんじゃないかしら」
「郡衙が短期間にそんなに遠くまで広がっていたということは、郡衙による徴税の仕組みが当時としてはかなり上手く機能していた証拠にもなるわけね」
「必ずしもそうとばかりは言えないようよ。少なくとも豊島郡衙では、神の祟(たた)りを意味する神火(しんか)という正倉が焼かれる不審火があったことを考えると、税に纏(まつ)わる不正や犯罪は実際にはかなり多かったのではないかしら」
「そういえば、租、庸、調の他にも、土木工事のための雑徭(ぞうよう)や地方警護のための防人などの強制的な徴用もあったそうだから、当時の人たちの負担の大きさが分かるような気がするわ」
「防人っていえば、当時この豊島郡に住んでいた人が創った防人の歌が万葉集の中にあるのを知ってた?」
「ということは、ここにも防人として九州の警護のために行った人たちがいたということ?」
「そうなの。その歌は、馬を上手く用立てられなくて、歩いて筑紫まで行かなければならなくなった不運な防人のことを詠んだ歌で、作者はその防人の奥さんなの」
「それにしても、香織は万葉集のことになるとほんとに詳しいのね。まるでその時代に実際に生きてたみたいにいろんなことを知っているのね」
その時、香織は加奈子の言葉に微(かす)かに屈託した様子を見せたが、加奈子は気づかなかった。