やうやくに生まれ給ひし男子皇子得子のよろこびひとしほならず
*保延五(一一三九)年、体仁(なりひと)親王生まれる。得子二十三歳。
ほどなくも皇子は崇徳天皇の皇太子に立たせ給へり
*保延五年八月十七日、立太子。誕生は五月十八日でわずか三カ月の赤児であった。
皇太子にありしが行く末のさだまらず得子の心おもひ乱るる
平安末期、国を二分する戦いが起こった。それは保元の乱と呼ばれる戦乱であり、古代から中世へと、貴族政治から武家政治へと時代を切り拓いていく端緒となった。
この乱の原因である天皇家と藤原摂関家の内紛から崇徳院の配流という結末までの経緯が詠まれた創作短歌を連載でお届けします。
やうやくに生まれ給ひし男子皇子得子のよろこびひとしほならず
*保延五(一一三九)年、体仁(なりひと)親王生まれる。得子二十三歳。
ほどなくも皇子は崇徳天皇の皇太子に立たせ給へり
*保延五年八月十七日、立太子。誕生は五月十八日でわずか三カ月の赤児であった。
皇太子にありしが行く末のさだまらず得子の心おもひ乱るる