【前回の記事を読む】炮烙を舞台から落とす狂言の演目「炮烙割(ほうらくわり)」。粉々に割れると「厄」を落とせると言われていて……

随想 素晴らしき出会い

7 高名なる先生への感謝――医師としての心構え――

60歳代後半になると1週間通した整形外科の診療も体力的に徐々につらくなり、医師としての限界も感じてくるようになった。

学会発表や論文作成は息子に任せても、医師会の公務は時を重ねるごとに多忙となり減ることはない。

そんな中、コロナ禍も明けて、学会やセミナーの開催も多くなり徐々にコロナ禍前に戻ってきているようだ。

今年(令和5年)7月14日に久しぶりにセミナーの座長を頼まれた。講師はY大学講師T先生で「膝周囲骨切り術」に関する講演であり、最新の知見を拝聴した。

講演の中で以前私が医局の研究で大変お世話になったK名誉教授の手術や疾患分類がスライドの中で紹介されていた。

フロアからの質問のほかに座長の特権でいくつか質問し、今までの疑問が解けて知識が整理されとても充実した時間となった。

会場のスポンサー企業懇親会で担当者と懇談をしていると、当時私が大学で共同研究をしていた企業は名称を変え現在の企業名となっており、これが大きな驚きであった。また当時のK名誉教授とのことが大変話題となった。

思い返すと、K名誉教授とは様々な思い出がある。先生は東京の下町育ちであり「べらんめえ」口調の雰囲気があり、一見怖そうであるも親しみやすいところがあった。

しかし仕事には大変厳しいものがあり、指示された学会発表や論文の執筆ができていないと声もかけられなかった。

私が医院を開業して開院式のご挨拶や開院20周年の講演、さらに私が執筆した著書に推薦の言葉を快く引き受けていただいたことなど今でも大変感謝している。

30年以上前に執筆した著書も今では書棚の片隅にしまわれているが、古き良き思い出でもある。一方で、当時私は生体材料に関する基礎研究を行っていたが、研究結果を名誉教授と私が東京で開催された国際学会に発表した際、懇親会の席上で同様な研究をしていたK大学の主任教授が「先生のところではよい研究をしていますね」と持ち上げてくれた。

しかし、その翌年の学会で、K大学がさらに先端の研究発表をしていたのを聞いて、忸怩(じくじ)たる思いがあった。私も研究の一端を担っていたが学会は互いに切磋琢磨する場なのであろうと思ったものである。

また、先生とは退職後に一緒に高麗山(湘南平)に登ったことがある。以前心臓の手術をされたことがあったため山登りは心配したが、登山経験の豊富なスタッフと若い医局員を同伴し準備万端で実施した。

半日の行程だったが特に大きな問題もなく、歩きながら先生の研究や業績についていろいろなエピソードを聞かせてもらったことは、大きな思い出であり楽しいひとときでもあった。

退官後の研究は若い後輩が引き継ぎ発展させ、今回の講演内容となっているのであった。先生の語録には、

・「医学には本来わからないことが多く、みんなが知っているつもりでいるだけだ。だからリサーチマインドを持つことが必要」

・「研究をするときは文献を読みすぎないようにすること」

・「研究はプロトコール通りにはいかない。そのため考えることが必要」

など今でも医師としての心構えを教えられ、これは私の医師としての基本姿勢となっている。

最後の「お別れの会」では、先生に対する追悼の挨拶とともに先生の業績として英文研究論文の一覧がパネルに掲載されてあった。パネルの中央に私と先生との共著論文を見つけた時の光景は、今でも脳裏に焼き付いている。

(令和5年2月)