ここで提示する「仮説」は、そのような、ある直観的なイメージに関わるものである。

私が「ラスコーリニコフの感覚の正体は何か」という問いを抱え始めてから数年も経たぬうちに、その「答え」は、ある日突然、思いがけず降ってきた。

いわば思いつきのようなものであり、決して詳細な検討の結果などではない。

前章で先行研究として挙げた四人の議論は、いずれも、すでに「答え」に到達した後に、事後的に確認することができたものだ。

それは、私がまだ二十代初めの学生の頃に、他愛もない偶然のように降りてきた。正確な年月はよく思い出せないのだが、その状況は、はっきりと覚えている。

ある日本のロック・バンドが夏の高原で野外コンサートを開催したのだが、当日は生憎(あいにく)の豪雨となってしまった。バンドのメンバーも観客もずぶ濡れで、楽器やアンプなどの機器類も盛大に水をかぶり、まともに音を出せる状況ではなかったのだが、そのような大雨の中でバンドと観客が一体となって最後まで公演を続けたという。

そのバンドのリーダーが、テレビのインタビューか何かで、次のような趣旨のことを言ったのである。「あのような悪天候の中でバンドのメンバーと観客とが保ち得た絆は、単に人と人とが横につながった結果とは思えない。音楽の神様が仲立ちになってくれたとしか考えられない一体感だった」

それを聞いたとき、私は咄嗟(とっさ)に「ああそうか」と思った。唐突に、偶然耳にしたバンドリーダーの感慨が込められた言葉に弾かれるように、『罪と罰』の「謎」が解けた、と感じたのだ。


(1)米川正夫訳『作家の日記(四)』岩波文庫 一九五九

 

👉『ラスコーリニコフ 苦悩の正体』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】妻の姉をソファーに連れて行き、そこにそっと横たえた。彼女は泣き続けながらも、それに抵抗することはなかった

【注目記事】アプリで出会った女性と初めて大人の関係に。最初のデートの時とは打って変わって、彼女のノリは悪く…

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp