倍管
さらにもう一つ、以前はよく倍管と言う言葉を耳にした。
これはフルトヴェングラーやオーマンディなど往年の指揮者がよく使った手で、オーケストラ全体の人数を増やすことにより迫力あるダイナミックな演奏を目指した。
そのバランス上、木管楽器を倍の奏者にして演奏すると言うものだ。
ベートーヴェンの交響曲など二管編成のオーケストラ曲を、にわか四管編成で演奏して迫力を増そうとするのだが、どこを倍に、または二本を三本にするかなど手を加えるため、オリジナル尊重の今日では殆どやらなくなった。
実は同じような考えを早くも実践していたのはマーラーだったが、単純に音を重ねる以上のこともしたため、たとえば神聖なベートーヴェンの交響曲に手を入れた、との批判も受けた。
余談だがある音楽会でマーラー編曲による『J・S・バッハの管弦楽作品による組曲』なるものを聴いたことがある。どれも有名な曲ばかりから成る組曲だったが、その音の厚さや低音の過度の充実ぶりには驚かされた。
バロック期の音楽とは思えず、逆に好奇心からか大変面白かった。これほどではないにしてもマーラーがベートーヴェンに手を入れると、どのようなものかこちらも聴いてみたい。
日本では近衛秀麿(このえひでまろ)などが気軽に楽譜に手を入れたと伝え聞いている。
また逆に演奏者ではなく作曲家自ら事前に倍管と同じような発想を楽譜に指示していた例も存在する。ベルリオーズの『死者のための大ミサ曲(以下『レクイエム』と略記)』だ。
この空前絶後の大規模な楽曲こそマーラーの第八番と深く関わるのだが、そのことは後述することにして、楽譜に書かれた指示を見ておこう。
ここで示した合唱の人数は相対的なものでしかない。演奏会場が許せば合唱全体を二倍三倍とすることが可能だろう。もちろんこの場合オーケストラも同じ比率で拡大可能だ。
もしも仮に合唱全体が七〇〇人から八〇〇人の大規模となった場合は「怒りの日」「妙なるラッパ」「涙の日」のみ全員で歌い、他の部分は四〇〇人で歌うこととしよう。
とりあえず楽譜に指示された「相対的な」人数を基本的な演奏人数と作曲者は考えていたと見て良いだろう。
その数とは合唱が、ソプラノ八〇、テノール六〇、バス七〇の計二一〇人、四管編成のオーケストラが計一六六人、さらに日本ではバンダと一般に呼ばれる離れたところに置かれる一〇人程度の演奏グループが四つで計三八人、総勢四一四人だ。
これをベルリオーズの言うように比例的に単純計算で増やしてみよう。
合唱を八〇〇人とするとオーケストラ六三二人、バンダ一四五人の計一五七七人となる。テノール独唱を忘れていたがこれは一人のままだろう。
以上はあくまで電卓による単純計算で、実際にはバランス、会場、動員できる音楽家、予算など様々な要因が絡む。それでもマーラー第八番初演時の動員人数からの異名『千人の交響曲』も驚愕の大幅千人超えだ。
だいたい元々四管編成のオーケストラを、倍管的に大型化しようとする発想そのものが前代未聞でいかにもベルリオーズらしい。