はじめに
「ああ、今日も途中ギブアップか」
週に何回かのジョギング最中でのことだ。自宅を出てしばらくすると、一直線に南下する道路に出る。「海軍道路」と呼ばれる、旧日本軍が弾薬運搬のために敷設した道路、または鉄道跡だと言う。両脇には桜の木が植えられ、春先には花見客も多い。
この海軍道路に出てから三キロほどひたすら南下すると、相模鉄道の瀬谷駅に至る。調子の良いとき、または温度の低い冬などには瀬谷駅まで走り、駅周辺のコンビニ等で水分補給し、鉄道を利用して自宅に戻るのだ。
ところが最近は瀬谷駅まで到達できずに瀬谷駅への中程の消防出張所までがギリギリで折り返し、徒歩を中心に帰宅することが常になってしまった。だが帰路は海軍道路に沿った広大な畑地の真ん中を突っ切る農業道路を利用する。
都会に近い神奈川県横浜市瀬谷区に、こんな広大な農地が広がっているのも不思議だ。土の香りが心地良い。
ところで私の住む東京都町田市は神奈川県町田市と揶揄されるほど神奈川県に突き出ている。街を走るバスも神奈川中央交通(カナチュウ)だし、町田市内のはずが横浜市と書いてあるマンホールふたにも時々出くわす。管轄が微妙に入り組んでいるのだろうか。
その町田4市にあっても我が拙宅は神奈川県に突き出ている先端にある。別のジョギングコースでは、神奈川県大和市↓同横浜市瀬谷区↓同緑区を経由する。このように神奈川の地を巡り無事「帰京」することになる。
少し本題に入ろう。私はジョギングが好きだ。走ること自体というか、走っているときの心の状態が好きなのだ。無心で走ることとはむしろ反対に、雑多のことを思い出したり思案したり思いついたり、それでいてその雑多の思いに視野の変化や肉体の疲労がオーヴァーラップする。異種のものがアマルガム的に結合し、何とも不可思議な感覚世界に陥るのだ。
この感覚世界を知ったのは、高校サッカー部の練習の最後に控えるいつもの持久走の時だったかも知れない。何かの感覚に似ていたのだ。ピアノ学習者ならほとんどの者が弾かされる『ハノン』練習曲だ。