この無味乾燥の、音楽性とはほど遠い練習曲は、指の持久力を高め同時に俊敏性にも寄与する。それでも弾きだしてしまえば音楽そのものとは対局の、無機的な音の物理的騒音の渦中に引きずり込まれる。

音階練習など一部の例外を除き、和声的重力たる足場もなくし、ただただ無重力の世界に漂う。それでいて譜読みの問題などは皆無で、ヴィルトゥオーソよろしくピアノという楽器を大音量で大量音符を響かせることが可能だ。

機械的に動く指とは真逆に、心はそこにはない。否、仮にそこにあっても音楽そのものに没頭するのではなく、音量や速度に集中する。そしてやがて心は、鳴り響く音どもからは離れた世界に飛翔する。

そう、持久走と『ハノン』練習曲はこの点に限ってのことかも知れないが、似ている。肉体の一部の反復運動、そこで心がけることは反復運動の惰性に身も心も中途半端に任せることだ。今一方の中途半端な心は別の世界を飛翔する。

ジョギングも『ハノン』練習曲も「プロ」が扱えば全く別物だ。競技者の長距離走は素人のそれとは比較にはならない。だいたい一万メートルをキロ平均三分以内で三〇分を簡単に切るなどとは狂気の沙汰だ。

また『ハノン』練習曲も、学生時代にピアノ科の友人がけたたましい音量とスピードで弾きまくるのを聴かせてくれたが、これも全くの別物だった。私が実践するのは「素人」故の別世界への飛翔だ。何とも掴みがたい別世界、正体が分からず、いつ終わるとも知れないこの感覚は、苦痛と快楽の妙な結合物なのだ。もう少し巨視的にいってみよう。

運動選手でも演奏者でもない私が、スポーツや音楽に係わるときの「素人」故の中途半端、無責任さのようなものが、この二つの文化にとって実は非常に重要事ではないのか。

なぜなら運動選手でも演奏者でもない、圧倒的多数の第三者がこれらの文化を支えているからだ。

 

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