何代経っても、性根は変わらない、私は思わず微苦笑した。そして、これは何だか、古い邦画のやり取りの様だ。

私は、その言葉遣いに感心した。まさにタイムカプセルのように、古き良き日本語が残されている。

昭和の映画館は、今とは違い、自由で良かった。

二本立て三本立ては当たり前。フィルム・マラソンと銘打ち、十数本の映画を、一晩中上映することもあった。そして、指定席なぞなく、映画自体に人気があり、通路に新聞紙を敷いて見たこともあった。

機能的ではあるが趣が皆無のシネコンと違い、昔の映画館は食べ物の持ち込みは自由、親父と助六寿司を食べながら、マーロン・ブランドの演技に痺れたものだ。

優れたアーティスト達は、食に拘る人が多い。

手塚治虫も松本清張も、特製五目蕎麦に大層な拘りがあったそうだが、映画界なら黒澤明のステーキだろう。

産地や部位、焼き方や付け合わせにも事細かく注文をつけた由。何せ、ステーキ皿まで自分で焼いたという噂がある程だ。

もっとも、それくらいのパワーがなくては、優れた作品群は残せまい。

そして、作中に出て来る料理にも、監督達の拘りがあるのだ。