【前回の記事を読む】え…なんで? 仏間の前に置いていた白い箱が、黒く変色していた。ただの変色ではなく、まるで中から発火して焦げたかのような色で…

第二章 北斗七星舎(ほくとしちせいしゃ)

蘇摩利は右手に持っている木彫りの数珠を、ぐるぐると振り回していた。お球磨ばあさんの夫の形見だ。

又五郎は蘇摩利を睨(にら)みつけた。罪のないお球磨ばあさんを虫けらのように屠(ほふ)るとは許せない。強く拳を握りしめた。

すると義近の背後の樹上から、けたたましく女の声が割り込んできた。

「なんだこの小僧まだ生きていたのか! 雑草はたくましいのう。まあ後でゆっくり料理してやるわ。箱を回収したら、待ってろよ小僧!」

亜摩利は義近につけられた頬の傷を、苦々しく手で覆った。

又五郎は義近に指をさして叫んだ。

「おまえは逃げろ! いいか、町まで決して止まらずに逃げるんだ! 行けっ!」言うのと同時に又五郎は、義近とは逆の方角へ走り出した。

──速い

まるで木々の合い間の道を知り尽くしているかのように、蛇のようにすり抜けていく。

蘇摩利は又五郎の予想外の機敏な動きに一瞬気後れしたが、すぐに後を追った。亜摩利も又五郎を挟むように距離を取りながら木から木へ飛び移った。

森の獣道(けものみち)ではあるが、人が通れるような整備された道ではない。

しかも木の根や瘤があり、常人ならば歩むことすらままならない森の中を、杣人の又五郎は駆け抜けていく。蘇摩利もさすがに地面ではなく、木から木へ飛び移って追うことを余儀なくされた。

深い緑の中、まるで鬼ごっこのような追いかけっこは延々と続いた。しかし杣人相手にくノ一の二人はまったく追いつけない。

「ちっ、なんて速さだ。杣人はこんなに足が速いのか? あたいら忍びと同じぐらいに速いわけがない。やっぱりこいつ杣人ではないな!」

又五郎は木の陰に身を隠した。蘇摩利は息を切らしながら樹上から見下ろした。

「上の者から聞いたぞ。おまえはあの伝説の忍び、軒猿毘沙門衆のながれ星冬星(とうせい)か!」亜摩利もようやく反対側の樹上に追いついた。

「おい亜摩利、油断するな! こ奴は毘沙門衆のながれ星冬星だ!」

「えっ? あの伝説の毘沙門衆の冬星なのか! 本物か? しかしあの伝説の忍びにしては、さっきから走り回ってばかりで何も術らしい術など出してないぞ。冬星は空中に浮かぶ忍術をも使えたと聞いているが……」

亜摩利は訝(いぶか)しげに又五郎を見た。

「やはり噂は本当だったか。実はもう冬星は忍術、幻道波術を使えないという噂じゃ」

「それは本当か。そういえば、太刀(たち)も持ってないしな。見ろ丸腰だ」蘇摩利はニヤッと笑い、自慢の弩を高々とかかげた。

「あたいらは運がいいぞ。羽をもがれた名高い鷹を、労せずして手に入れることが出来るのだからな。伝説の忍びの首級があればたっぷり褒美がもらえるぞ」又五郎はくノ一の隙を見て、さらに森の奥へ突っ走った。

しかし走った先は、清流が滝となって流れる岩場に囲まれた岩窟で、行き止まりとなっていた。すかさず蘇摩利がここぞとばかりに追い詰め、亜摩利もつづいた。

「おや、行き止まりだね。伝説の忍びといえども落ちぶれたもんだね。あたいらは伝説のながれ星冬星を斃(たお)したくノ一として、これから一世風靡(ふうび)させてもらうよ。観念しな」

蘇摩利が左手の弩を向けたとき、どこからかヒュンヒュンと微(かす)かな音がした。風の音なのか鳥の囀(さえず)りなのか、滝の音にかき消され、くノ一には聞こえなかった。