【前回の記事を読む】住んでいたアパートの鍵は、誰でも簡単に開けられる設計だった…留守中に空き巣が入り、引き出しの中に隠していたものが……
前編|生い立ち
大学時代
いよいよ大学四年になり就職活動を始めましたが、当時は歴史的な就職難の時代でした。
私は当時お付き合いしている女性もいなかったので、内定をもらえるなら勤務地は海外でもどこでもいいと考え、インドネシアの熱帯雨林を伐採する木材商社の入社試験を受けました。
ボルネオのジャングルでも行ってみたいとも考えて受けたのですが、面接官からの質問で「あなたの尊敬する人は?」と聞かれて、「プロレスラーのアントニオ猪木です」と答えたら、面接官がとぼけた顔をして「ハアー!? その人誰?」とひどい言われ方をしました。
私は幼少時代から根っからのプロレスファンだったから知っていましたが、当時アントニオ猪木さんは一般的にはまだあまり知られていなかったのです。
結局は不採用でしたが、一風変わった性格の奴だと面接ではマイナスのイメージに評価されたのだと思います。就職難であり、落ちても仕方がなかったとその時は諦めました。
当時は新日本プロレスという会社も新たに立ち上がったばかりのプロレス団体でしたので、この際この会社に入社して大好きなプロレス興行の仕事に就きたいと真剣に考えたこともありました。
何の準備もなく無鉄砲に、しかも手が届きそうもない難関の公営企業(鉄道会社、放送局、外務省、裁判所)などに図々しくチャレンジしては次々に落ちていました。
大企業であろうが中小企業であろうが、入社してから努力して企業に価値をもたらす人間になれば、結果は後からついてくるものと偉そうに考えていましたが、就職環境はなかなか厳しいものでした。
実はこの時、大学の就職部からの勧めで警視庁警察官の採用試験にもチャレンジしてみました。当時は不況後の就職難で、公務員である警察官は安定職種ということで、かなり就職先として人気があったのですが、民間の就職先も限られていたので、実力試しに受けたのです。
ところが偶然にも難関の筆記試験に受かり、身体検査もスムーズに通過し、正直、このまま試験が順調に進んだらどうしようと思っていたのが事実です。
採用試験は順調に最終面接まで進みましたので、最終面接で落とされるようにしようと思い、面接の途中でいずれ九州に帰りたいと考えていることを面接官に伝えたところ、面倒くさそうに福岡県警を受けるように諭され、予想通り不合格となりました。
もし警視庁に入っていたら今頃どのような人生を歩んで、どんな身分になっていたのだろうかと想像しました。
自分から落ちるようにした理由は、兄が学生時代に学生運動をしていて警察や機動隊を大変嫌っていたこともあり、警察官だけはなることを強く反対したので、そこまで言うならと私自身も警察官は諦めたのです。