【前回の記事を読む】無責任に育児放棄した父親とは、幼少期から別居生活。男運のない母に育てられたが、私は…

前編|生い立ち

故郷を離れて

現在はバイクでの配達が当たり前のようですが、当時は自転車のカゴに山ほど新聞を積み上げて、ゆらゆらしながらハンドルを握りしめて早朝の道路を走って配達していました。

今思えば坂道や階段の上り下りでかなりの肉体労働でしたが、当時は体力も元気も真っ盛りだったので重労働もこなせたのだと思います。しかし、毎朝の早起きは何ものとも比較できないほどに辛くて大変でした。

とにかく忙しい新聞配達の仕事ですが、まるっきり余暇がないわけでもありません。ただし、休日といっても現在のように丸一日の休みはなく、休刊日は年に一月二日の朝刊しかありませんでしたので、日曜の夕刊がない時に日帰りでどこかへ出かけるぐらいでした。

当時は、販売所で一緒に寝泊まりする仲間とのおしゃべりや、自分の配達区域の顧客との集金時の立ち話なども楽しみの一つでした。配達区域のアパートで暮らしている若い男性や女性との集金時の何気ない立ち話は青春時代の良き思い出でもあります。新聞配達を通してお客様との人情の触れ合いが普通の時代でした。

販売所には実にいろいろな経歴の人がいて、中には真面目に社会人を目指しているのだろうかと疑われるような人もたくさんいました。受験生や現役大学生の新聞奨学生は新聞販売所で働く目的が明確でしたが、何を目的に働いているのか、どんな内面を持った人なのか、正体が知れない人もいました。

食事は朝夕(日曜日は朝食のみ)しか出ないので、昼は大学の学食で済ませるか、大学の休日はアパートでインスタントラーメンとご飯で簡単に済ませていました。