ここでは、自死の視野そのものは扱わない。その点については、付録の文献リストを参照してほしい。

わたしのテーマは、俗に言う安楽死、つまり、人道的医療安楽死と言う意味での死への援助である。

ここでは、責任ある人道的医療安楽死が、一定の条件のもとで正当化されることを前提として、自死そのものを論じるにとどめておきたい。

死への願望は、自由に熟慮の上でなされたもので、かつ持続可能でなければならない。

この文脈での自由な責任とは、死を望む人が外部からの強制を受けておらず、明確な心構えを持って自分で決断することを意味しており、心構えとは、その人が緩和ケアなど他のすべての可能な選択肢を認識して検討したことを意味しており、持続性とはその人の決断が長期にわたって一貫していることを意味している。

自死そのものと同様に、自死幇助も、人文科学、社会科学、刑法、医療倫理において、特に医師によって行われる場合には、その判断に相違が認められる。

自死幇助も嘱託殺人も、20世紀の発明ではない。例えば、アビメレク王やサウル王は、絶望的な戦況においては、自分に一撃を加えて殺すよう兵士に命じていたことが、最も古い出来事として、旧約聖書の時代から明らかにされている。神学者のヤン・ディートリッヒは、彼の大学教授資格論文のなかでそのように記載している。