【前回の記事を読む】倭国において鉄は貴重で、本来は大王が民へ分配する決まりだった。しかし葛城氏は大王家とは別の方法で鉄を入手していた。これが……
序
五世紀半ば、ヤマト王権はまだ盤石なものではなく、葛城一族のような力ある集団によって支えられていた。
とりわけ葛城一族は、その祖、ソツヒコの活躍により、他の氏族より先んじて冶金から鍛冶、鍍金(ときん)までをこなす技術を有するに至ったが、ソツヒコが新羅より連れ帰ったとされる製鉄職人を葛城領地内の忍海、桑原、佐蘼(さび)、高宮に住まわせ、それぞれの地で工房を開かせたことがその発端となったとされる。
「そればかりか、吉備や紀の国とも交流し、貴重な塩のほか、同地で産出する砂鉄すらも紀ノ川を経由して葛城の地にもたらすことができるようになったのです。鉄を制するものは天下を制す、鉄と渡来人のもつさまざまな物作りの力こそが我が葛城一族繁栄の礎、大王家が我々に一目置いているのもこの鉄のおかげにほかなりません」
事実、この時代の葛城一族は大王家との姻戚関係を構築するとともに、大王家に代わり、倭国の外交分野の多くを担い、その利権により強大化したことから、大王家はもちろんのこと、他の大和の豪族たちからも常に警戒の目を向けられていた。
もっとも飯豊には、このままこの忍海の地で平和な日々を送り、いずれは然るべき男の妻となって子を産み、一生を終える以上の望みはなかった。
むしろ蟻の話を聞けば聞くほど、まつりごとの世界とは無縁でいたかった。
だが、時代はそれを許さなかった。
なぜならこののち、彼女は数奇(すうき)な運命を経て、この倭国に君臨する大王となるのだから。
そして、葛城一族の栄華に影のようなものが忍び寄り始めたところから、この物語は始まる。