【前回の記事を読む】地球の誕生は46億年前といわれているが、天地の創成は、そのような数字でいいあらわせるものではなく…

承の章 古事記(こじき)(天上界)

天地(あめつち)になれる神

二十一、

青天(せいてん)の霹靂(へきれき)(晴れ空に、突然の雷鳴)とは、このようなことであろうか!!!

後光に映える天地創成の三山が、

いきなり、それぞれの頂上から、大鳴動を轟(とどろ)かせ、

噴煙のなかに、火柱を立ち上らせたのである。

いや!いや! それどころではない。

素の神が動転(どうてん)(驚きあわてて、平静を失うこと)してしまったのは、

これまで巡礼してきた、すべての山々が、

すなわち、事物になれる山々、天地になれる山々が、

天地創成の山々と同じく、大鳴動を轟かせ、

噴煙のなかに火柱を立ち上らせたのである。

天上界のすべての山々の大鳴動は、

天上・地上に、ひびきわたった。

そのひびきは、異口同音の大音声となって、

呆然(ぼうぜん)(あっけにとられるさま)と見上げる素の神の耳を、つらぬいた。

「われらは、あらゆる事物(諸法)の真実なり。

大音声は、これ、事物の実相を示す言葉なり。

ここに、明示して、そなたに与え、知らしめるものなり」

大音声の言葉(意味)を解読した素の神は、

今まで持ちつづけた疑念を一挙に晴らしたのであった。

地上界でみえる、もろもろの神の姿、

すなわち、もろもろの事物(あらゆるモノ・コト)は、

神から与えられた宝物(たからもの)、

「あらゆるもの」の実相(諸法実相)であることを、

「真実」の実相(真実実相)とともに、理解することができたからである。

二十二、

思い返せば、

伊弉諾の尊の「天の沼矛」による、

私(地上界の人間)への「こづき」に、はじまった、

この天上界への道行(みちゆき)(旅をすること)は、

多くの神々(事物になれる神々・天地になれる神々)のご加護のもとで、

天上界の創成期まで、巡拝することができた。

──感謝・感激の念でいっぱいである。

かりそめの命、貴の神、そして、素の神と、

化神(けしん)(人が神になること)をつづけるなかで、

伊弉諾の尊、あれの命、我の神、あめのとこたちの尊の霊力に、

お縋(すが)りしてのことであった。

──尊崇の念はつきない。

天つ神は、

いずれ、地上界の人間に戻る、素の神をみこした上で、

地上界のあらゆる事物は、神の姿・真実の姿、

すなわち、実相であることを、お示し、

ご下賜(かし)(いただくこと)たまわれた。

──恐懼(きょうく)(恐れかしこまる)この上もない。

すべてのお手配は、伊弉諾の尊の慈悲(思いやり)によるものであった。

素の神は、感泣し、感謝の意を述べる言葉を見いだせない。

いつまでも、いつまでも、恐懼感激して、ひれ伏していた。