【前回の記事を読む】天上では、転生せず根源の国にとどまる神々と、転生のある伊弉諾の国に移る神々が選び分けられている

承の章 古事記(こじき)(天上界)

天地(あめつち)になれる神

十八、

またまた、一瞬の光が走った。

「あなにやし! 餘が、いますところ(天地生成)へまいれ」

素の神は、今では、誰の案内もいらず、どこでも、訪れることができる。

あめのとこたちの神の霊力による、神足と神智の賜物(たまもの)である。

一瞬の光の元は、天上の根源のところ、すなわち、あめのとこたちの神のところ(天地生成)からであった。

うましあしかびひこぢの神、あめのとこたちの神の二神がおわします、天地生成のところは、まだ、大地は、葦かびのようなものが生える泥土(でいど)(どろつち)であり、固まり、修められる前の、生成中の天地であった。

この葦かびのようなものに、なれる名の神が、うまし・あしかび・ひこぢの神である。

うましとは美しい、あしかびとは葦の芽、ひこぢは男性的の意である。

まことに、あるがままの名である。

――因(ちな)みに、この葦かびのようなものとは、25億年前に、地球に生じたといわれる藻類(水草)のことであろうか。

二柱はみえない。

されど、素の神には、みえる心地がする。そこは、生成の躍動とともに、神がまします清謐(せいひつ)(清らかで、静かなこと)の世界があった。

素の神は、拍手を二度うち、二拝して、来意をつげ、これまでの甚大な神慮に、甚深(じんじん)(とても深いこと)の謝意を、表したてまつったのであった。

霞(かすみ)か、靄(もや)か、霧(きり)か、……清らかな白いものが棚(たな)びくなかを、光が、瞬(またた)いた。

「あなにやし! あなにやし! 天地創成の神のところへまかり出よ」

天地創成、すなわち、あらゆるものが創造される、天上界の、元は一つのところに臨(のぞ)め!とのご託宣(たくせん)(神のお告げ)である。

「思えば遠くへきたものだ」の騒ぎではない。

――因みに、地球の誕生は46億年前のことであるといわれるが、天地の創成は、そのような数字でいいあらわせるものではない。

十九、

素の神は、あめのとこたちの尊の仰せにしたがって、天地創成の神のところに、まかり出た。

「まかり出た」とはいえ、そのところ(場所)は、あるようで、ないようでもあり、そのとき(時間)は、始末(しまつ)(始めと終わり)があるようで、ないようでもある。

そしてまた、形(名)があるようで、ないようであり、中身(実)があるようで、ないようでもある。

あえていえば、二つとしてない、虚空(こくう)(一切のもの)のようなものといえようか。

その虚空に天地の兆(きざ)しがみえたとき、その天上になりましたのが、天地創成の神であられたのである。