あえていえば、天地の兆しとは、陽炎(かげろう)・稲妻(いなずま)・水の月のように、
形はあれども、捉(とら)えられない状態の、天地であるといえようか。
されど、天地創成の神のところは、あるがままの天上であった。
はじめに、その天上になれる神の名が、あめのみなかぬしの神、
つぎに、神の名が、たかみむすびの神、
そのつぎに、神の名が、かみむすびの神の名の順で、
天上におでましであった。
しかし、天上になれる神の名の三柱は、おでましになると、神の名を残して、すぐさま、身を隠したまわれた。
その天上(状態=そのまま)に、なれる神の名の三柱は、天地創成の神として、あるがままに発生され、
その後は、あるがままの神々を主宰されてゆくのである。
あるがままの天地(天上)に、あるがままの神が宿られたのである。
自然とは、天地(身)と神(心)が一体化した、あるがままのことである。
二十、
素の神は、あめのとこたちの尊の霊描による、
天地創成の三柱がおわします三山を三拍、三拝し、さらに、深く、深く頭を下げて、崇拝した。
三山から後光(ごこう)(放射状の光)がさしてきた。あめのみなかぬしの神の主峰から、一瞬の光が、天上・地上に瞬(またた)いた。
その光は、素の神の目に差し込み、またたく間に消えた。
「われは、元は一つの、真実なり。
一瞬の光は、これ、真実の実相を示す言葉なり。
ここに、開示して、そなたに与え、知らしめるものなり」
素の神は、その一瞬の光を、このように解読した。
一瞬の光は、身を隠された、あめのみなかぬしの神の、言葉であり、真実の実相を示すものであった。素の神は、ここで、「真実の実相」の言葉を、
直接に、あめのみなかぬしの神からいただいたのである。
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