「お母さんがいなかったらお父さんもお前も困ったべ。お前は生きると信じてたからな、お父さんの子だからなと」なぜか納得する答えだった。
父は豪放磊落(ごうほうらいらく)、破天荒な人だった。余市町という場所が父のおおらかな性格を育んだのかもしれない。広い農園で、動物たちと暮らしながら父は伸び伸びと育ったに違いない。田舎でもどこでも伸びる子は伸びる。教師だった父の教育に対するポリシーの一つだ。
その証拠として高校の後輩が後に宇宙飛行士となった。父とは勿論面識はなかったが同じ故郷の学舎である。わたしたちはそのニュースを見て父の考えも一理あるとその言葉の真実性を納得したものだ。
大自然の中で育った父は、栃木の家族との生活の中でも北海道での生活の癖は抜けなかった。北海道弁もそのままで、食べ物も幼少から食べていた石狩鍋や、ザンギや、筋子、蟹、そして毎日もいで食べていたリンゴや、プラムが好きだった。生活のすべてが小さな余市町だった。
ある日、わたしの教え子が、「先生、今、変な人見た。パンツ一つで、上半身裸で麦わら帽子かぶって、捕虫網持って、虫かご肩にかけて、店にいた。変質者だ」と。
8月のミンミンゼミが煩いほど鳴いていた暑い夏の日である。あー、あー、あー、と、指さす方を見ると父が、庭に嬉しそうに立っていた。蝉をたくさん虫かごに入れて子どものようにピースをしながら小さい歯を見せて笑っていた。ピンクのリボンの麦わら帽子をかぶり確かに白いパンツ、いやステテコだ。上半身に、服はない。
「先生、あの人、あの人やだなぁ、つけられたかなぁ。なんで、先生の家の庭にいるの」。怖いと騒ぐ生徒を尻目に、わたしは落ち着いてなだめた。「大丈夫、任せて」。こういう時、毅然とした態度を見せてこそ生徒の信頼は絶大となる。わたしは思い切って窓を大きく開いた。「先生気をつけて」の声援は気持ち良かった。わたしは大きく息を吸い込み、怒鳴った。
「お父さん! お帰り!」
唖然とするみなの顔が小気味良かった。わたしは臆することなく、恥じることなく、変な人をお父さんと呼べたのだ。それも自慢げに。
わたしはそういうことをこともなげにやり遂げる父が好きだ。怒りながらも、いつも頑張れとエールを送っている。人目を気にせず我関せず、自然体で生きていく父は羨ましくもあった。今なら職務質問対象となる案件だ。自転車での道中よくつかまらなかったものだ。父はあまりにも堂々としていて、風景に溶け込んでいたのかもしれない。
父とわたしの顔を代わる代わる見比べていた生徒たちは一言こう言い放った。「あの人、先生の笑った顔にそっくり」。
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