弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
(1)
「僧形のままここへ来れば、そなたの、これまでの苦労が水の泡になってしまうではないか」
寺に寄りつかなかった理由を、曇明(タンミン)師はちゃんと、察してくれていた。
「よく、ここが、おわかりに……」
「さがしたぞ。長いあいだ、行方をくらましていたな。もっとも、そなたは、幼少時から放浪していたから、慣れっこであったかな?」
「すみませんでした」
「あやまる必要はない。われわれに居所をかくしておくことが最善と、考えたのであろう。あずかっているものを、とどけに来た」
ふところからとり出されたのは、一通の書簡であった。
「曹洛瑩(ツァオルオイン)からだ」
「……あの子は、どうなりました?」
「父母のもとへ、帰したぞ。そなたに一言ことわってからにしようと思って、ほうぼう手を尽くしたが、居所がつかめず、やむなく、ウチの住職や、あずけ先の尼僧と相談して、きめた」
「そうですか……よかった」
「そなたはいま、籠のなかの鳥だな。住職も心配していたぞ」
「………」
「苦しい立場であろうが、忍辱(にんにく)せよ。忍辱行は六波羅蜜(ろくはらみつ)の一、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)へ通ずる道なり。たえがたいことをたえ忍ぶのも、りっぱな徳行なのだ。これは、住職からの言(こと)づてだ。佛(ほとけ)の慈悲を、ゆめ疑うな。佛(ほとけ)の慈悲は、人間の思量を、はるかに超えたところで働く。人間の力など知れたものだが、佛こそは融通無碍(ゆうずうむげ)、無限無辺のものだ」
「はい……」
「では、行くぞ。足跡はのこさぬゆえ、安堵せよ」
手わたされた書簡を、飛蝗(バッタ)にさとられぬよう、肌身につけた。