弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
(1)
「天子の意向じゃわいの」
「ほーッ! さすが皇帝陛下だ。おれらにゃ及びもつかねえ雲上の人でも、悪いことをしたら、つかまるもんなんだな。そうだよな、そうじゃなくちゃな」
おもちゃ屋が感心の声をあげた。
「信を履(ふ)み順を思うは生人の善行なり、朴(ぼく)を抱き静を守るは君子の篤素(とくそ)なり――この世に人と生まれてきたら、そうあらにゃあならん。それだのに、私腹をこやすためにはどんなあくどいことでもやり、とがめだてする者がいれば殺す、そんな男がいれば、たとえ皇帝の外舅でも、処罰されるのはあたりまえじゃわいの。あのお方はいまも、獄中におる」
話はしだいに、政治の色をおびて来た。私はハラハラしながら、老人の舌がまわるのをみていた。飛蝗(バッタ)はすこし離れたところにいて、こちらのようすをうかがっている。
「おい、わけ知りの爺さんよ」
苦力ふうの男が、よびかけた。
「おれは、むずかしいことはわからん。だけどあんた、うかつに時局の論評などしたら、両の手がうしろにまわるぞ。目も、耳も、そこかしこにあるんだぜ?」
「なァに、かまわん。獄中で暮らすなんざ、慣れとるからの。わしゃあこの前の秋、釈放されて、出て来たばっかりよ」
「ほんとかよ、おい」
「疑うか。ほれ、このとおりじゃ」
爺さまは右肩をはだぬいでみせた。蚯蚓(みみず)がはりついたような裂傷のあとが、背中にいくつも走っている。私たちは、息をのんだ。
「さっき言ったろう、建昌伯(けんしょうはく)は獄中じゃと。獄を出るさい、この目で、たしかめて来たからの」
「そうだったのか……でもあんた、どうして、ぶち込まれるはめになったんだ?」
「わしゃあ、礼部四清吏司(れいぶしせいりじ)の員外郎じゃった。じゃが、お若い嘉靖帝が即位なされて、ご自分の実父を皇帝にまつりあげようとされていたとき、それはできませぬと、具申した。四年まえの話じゃ。そりゃそうじゃろう、生前、皇帝位に縁のなかったお方を、死んだあとで、じつは皇帝でしたなどと、どだい、無理なことじゃわいの。
はたして、皇上は、お怒りになった。ワシだけではない、側近の重臣にも、同じ意見をのべて、陛下をいさめた人がいたが、結局、ワシらは官位を剝奪されて、獄に下された。獄中で縊(くび)られた者もおった。拷問のあとは、伝染病じゃ。病気にかかって、血便をたれ流しても、獄吏はほうっておくだけじゃ。まわりの連中は、バタバタ倒れて、もどって来なんだ。ワシも、なんべん、死ぬと思うたかわからん」