【前回の記事を読む】友達の家に泊まっていると、突然帰れと言われた。終電もないのに帰れとは何事か、と怒ったが理由を聞いて、すぐに退散した

第三章 学生時代

テニス部の仲間との無礼講

そんなアサオも2年になった春の合宿は、伊豆の弓ヶ浜で砂浜を10キロ走った。春は体力を付けるという事で砂浜のランニングが中心だ。砂に足を取られ走り辛かった。先輩達について行くのがやっとだった。ハードな練習も2週間が過ぎ納会であった。禁酒・禁煙・禁コーラの合宿も、最終日はすべて解禁無礼講であった。皆、芸をやった。

そんな熱い伊豆の青春の日々が過ぎ、アサオ達は東京のキャンパスに戻った。東京では授業・バイト・テニス・遊び・先輩との付き合いもあって騒がしい日々が続いた。大阪では万博が開かれていたのもこの時期だった。関西大学に進んだ、同じ高校のNが泊めてヤルから万博を見に来いと言ってきた。が、忙しく東京を離れる訳にはいかなかった。

2年の秋、あの衝撃の三島由紀夫事件の激震が走った。アサオが後輩と池袋の街を歩いている時、街の電光掲示板に「作家・三島由紀夫、本日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に楯の会の隊員と押し入り、バルコニーで演説した。あとで総監室に押し入り割腹自殺を遂げた」と、ニュースが流れた。

アサオと後輩はショックを受けた。三島作品は後に読む事となる。『豊饒の海』四部作や『美徳のよろめき』『不道徳教育講座』『潮騒』『討論 三島由起夫vs東大全共闘』。特にこれは極右の三島と極左の全共闘が共闘出来ない、歴史に残る印象的な夜であった。興奮して喫茶店で三島の事を語り合ったものである。

その冬、OBの良太さんが冬山へ誘ってくれ、後輩と三人で冬の峠を越え群馬県の秘境温泉、煙草屋旅館へ連泊。もうアサオは東京へ帰るのが嫌になり、良太さんと後輩は先に帰京したがアサオは残った。寒くて室内の炬燵の上のお茶が凍ってしまう程である。

寝る時は、布団を重ね、布団のスソに布団を置き、すき間がないようにして寝る。それでも寒い。勿論、エアコンはない。木の温泉風呂は、最高だった。一人になると退屈になり、いよいよ東京や仲間が恋しくなり帰りたくなった。旅館の人が冬山は危険だと言って麓(ふもと)迄送ってくれる。金がなかったので東京迄ヒッチハイクで帰る。

その後、単位も取れず、就職も出来ず、出席日数が足りず卒業の見込みが立たず、八方ふさがりになってしまった。こんな状態では社会で働いていけるはずもなく、アサオは考えた。

先ず病気を治す事が先だと考え、下宿近くの精神科の病院にかかると「親に来てもらう必要がある」と言われ、「母親は一人で東京へ来る事が出来ない」と言ったら、先生が「それでは紹介状を書いてやるから故郷の精神科へ入院するように」と言われ、この際、徹底的に治し、それから社会に出ようと考え、大学は4年で中退し、都落ちを決意する。

テニス部の後輩にこの事を告げると帰郷する時は、東京駅迄、皆で見送りに行くと言う。アサオは失意の思いで都落ちするのであって、そんな事をしてくれては心苦しくて申し出を断る。後輩達に心を残し、アサオは一人淋しく東京をあとにした。