第二章 日向伊東家の豊後落ちと高城耳川の戦い
「阿喜多(おきた)にございます」
しなやかな体を折り宗麟の前に手をつく女子(おなご)は、少女の面影を僅(わず)かに残しながらも、裳着(もぎ)と髪上げを済ませた大人の装いである。宗麟の姉が嫁(か)した一条(いちじょう)中納言(ちゅうなごん)房基(ふさもと)の娘で、宗麟にとっては姪に当たる。
土佐の一戦国大名とはいえ、関白が輩出した摂関家の流れを持つ家に育ったためか、穏やかで知的な気品を漂わせている。今回の来訪は、日向国(ひゅうがのくに)伊東家への入輿(じゅよ)の途上、叔父の住む臼杵(うすき)丹生島城(にうじまじょう)へ挨拶のため立ち寄ったものである。
宗麟が前年普請し、府内より移り住んだ丹生島城は、臼杵湾に突き出た三方が断崖の半島に築かれ、しかも満潮時には四方が海となる、断崖と海を天然の要害(ようがい)とする堅固な城塞(じょうさい)である。
その天然の要害を擁することが、工期短縮と普請費用の軽減にも繋がったが、それにもまして宗麟の心を捉えたのは、世人を離れた静寂を好む自身にとって、岩を洗う白い波が美しく松が風にそよぐ市井(しせい)から隔絶した空間が、自らが求める居所の条件にこの上なく合致した環境であったことだ。
加えて当地の臼杵湾は海運の利便性に優れているため、南蛮船の寄港地となり、また、強化の必要性があった水軍の基地を構(かま)えるのにも適していた。
阿喜多がまだ幼少の頃、宗麟の招きで母親と府内を訪れた際、大友館(やかた)近くの耶蘇(やそ)教の聖堂とその隣の病院や育児院を見物して感銘を受け、また、唐人町の背の高い青い目の南蛮人の異容にたじろぐなど、賑やかで開放感のある港町の雰囲気に好奇心をかき立てられた思い出がある。
今回もその再訪を楽しみにしていたが、現在は政庁を臼杵に置き、そこに叔父がいることを知らされ、府内に心残りはあるものの優しい叔父の変わらぬ歓待を受けて、阿喜多はその再会を心から喜んだ。
今回の阿喜多の輿(こし)入れにより、土佐国一条氏にとっては、海運の要衝油津港(あぶらつこう)を持つ日向国伊東氏との姻戚関係の始まりが通商上の便宜を高める機会となり、また、その伊東氏にとっては隣国の宿敵薩摩国島津氏への対抗の後ろ盾として、有力大名豊後国大友氏を味方に引き入れることができる。
他方大友氏としてはこの姻戚関係により、日向を島津氏との間の緩衝(かんしょう)地帯とする目論見である。
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