この日は愛知県春日井市で開かれる、自分史コンテストの受賞者の集まりがあった。

猫さんの体調もあるし、参加しようかどうかずいぶん迷ったが、受賞なんて滅多にするものではないし――この二か月は不思議と受賞が重なったが――招待されているのでできれば出たい。考えた挙句、妻に病院受診をお願いして私は新幹線に乗って、埼玉から愛知へと向かった。

春日井市では、受賞者の錚々たるメンバーが集まっていて、執筆に懸ける想いを聞く事ができた。エッセイは最初の一行が大事と審査員の方に言われ、自分の甘さや未熟さを認識する事にもなった。何より、人の集まりに顔を出す事が少ないので、単純に楽しかった。

ただ、会の最後の挨拶で猫さんの闘病生活について話をし、その時みんなの前で号泣してしまった。

最近は、会う人会う人に猫さんの病気とその近い将来について話し、つい泣いてしまうので、泣く事自体は恥ずかしいとも思わなくなったが、場の空気を白けさせたのではと、済まない気持ちになった。こういう賑やかな会の時は涙を抑えようと思っていたのだが、無理だった。

それでも、猫さんの病気を話さない事はできなかった。というのも受賞は「猫さんの不思議な力」によるものだと思うので、猫さんについて語らないと、みんなに私が実力で受賞したと勘違いされてしまう。それは、猫さんに失礼なのだ。だから、正直に「猫さんの力です」と告白するようにしている。

最近、猫さんの事を語っていても、一人路上を散歩しても、店で猫さんのおやつを買い求めていても、泣いてしまう。悲しいからなのだが、実は不幸でない事に気づいてきた。猫さんを可哀相と思い、残された私が寂しくなる事を思って泣いているのだが、ひとしきり涙を落とすと、不幸感は無く、心が軽くなり、なぜか温かいものが残っている。毎回。

これは不思議だなと思う。私は少し変になっているのだろう。