戦争が終わった後も、育ち盛りの大勢の子供たちを抱えて、生活は苦しさを増すばかりであった。

都市住民による、戦前から続く農産物の買い出しは、終戦後には食糧難が更に厳しいものとなり、彼等は汽車に乗り、大挙してこの地方にやって来た。

その一方、地方からも農産物などのヤミ物資を背負って、東京方面に出ていく者が大勢いた。

こうした世情にあって、剛三とつねは借金をして中古の機械を買い入れ、精米所を始めた。

近隣の農家の脱穀や精米を行うだけでなく、駅に近い本庄家の立地は、「担ぎ屋」と呼ばれた、ヤミ米を都市へと運搬する人々の格好の拠点になっていったのである。

彼等は朝早く精米された米袋を担いで駅に向かい、午後遅く戻ると、本庄の家に寄って一服してから家路につくのだった。

その頃、つねは懇意にしていた近所の山内医院の院長から、政府が始める、農地改革についての話を教えられた。

「つねさん、今度、政府が行う農地改革についての話、聞いてるかい?」

農地改革は戦後間もなく、連合国軍総司令部(GHQ)の指令のもと、地主制度の解体と、自作農の創出を狙って進められた、農政改革である。

早速、つねは剛三にもその話をしたのだが、今まで小作地を貸してくれた地主たちに遠慮し、話をつけにいくのを彼は渋った。

だが、つねはひるまなかった。

農家の嫁が一人で地主の家々に出向き、交渉を行ったのである。

 

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生活はようやく安定してきたものの、再婚してから生まれた子供に「心臓に雑音がある」と告げられたつね。それ以来…

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