小児神経5 学生時代に将来の青写真を描く

医学部の最終学年になっても、障害児医療と外科のどちらを選ぶか悩んでいた。華やかな外科医は医学部に入った時からの憧れ。一方、ボランティア活動の延長となる障害児医療に華やかさはない。憧れを追い求めるか、それとも学生時代の出会いにこだわるかの選択だった。

自分の心の奥では早々に結論が出ていたように思う。障害のある子どもたちと関わり続けた学生時代、多くの人と出会い、多くのことを学んだ。そのおかげで、自分自身の価値観や人生観を新たにすることができた。思い出に終わらせるには大き過ぎる。

外科医になったとしても、手や目が思うように使えなくなったらメスを置かなければいけない。外科医なら、私でなくてもやってくれる人がいるだろう。

しかし、障害児医療なら生涯極め続けることができる。あの子たちの苦しみや悲しみ、そして願いを知った自分が、障害児医療を担わずして誰が担うのか。自分に代わる人はそういない。迷う余地はなかった。

障害児医療を学ぶには小児科を専攻せざるを得ない。私は、小児科医になりたくて小児科を選んだわけではなく、小児科の研修を終えた後、障害児医療を専門とする小児神経科医になるために小児科を選んだ。

しかし当時の秋田大医学部小児科には、小児神経を専門とする医師がいなかったので、卒業後は秋田県外に出て、小児神経分野の盛んな施設で勉強しようと思った。そして秋田県に帰り、学生時代に考えたことを実践すればいい。将来の青写真が出来上がった。

 

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