親に怒られて怖い思いをした経験ならば、誰にでもあるだろうが、あとになって、父に子どものときの辛さを訴えたら、「お前は悪いことはしなかったのか?! 悪いことをしたのであれば、罰を受けて当然だろう!」と言われた。

悪いことをした子どもは、ただ言葉で怒られるのではなく、折檻という懲罰を受けてしかるべきなのだ。

だが、子どもは常に新しい世界を探検し試しながら自分のものにしていくものである。

新しい世界には失敗がつきものであるのに、失敗するたびに悪さをしたと断罪されて罰が下されるのであれば、子どもは何げない日常の判断でも尻込みしてしまう。

しかも、父の教育方針は、決して褒めないというものでもあった。

決して褒められず、怒られることばかりであれば、子どもは委縮してしまう(父は、自分の暴力を正当化するために、親も子育てに試行錯誤だった、間違うこともある、と言うが、それなら生きることに試行錯誤中の子どもの間違いは許されず、なぜ親は許されるのか、と言い返したい)。

親の怒りに触れて、委縮してしまうことは、誰にでもどこにでもある話かもしれない。しかしながら、母の異常性は度を越していて、それを物語る1つのエピソードがある。

それは、母方の祖母が僕の子どもの頃を回想して、「キャラメルを買ってあげたのに、全然食べようとしないので、どうしたのかと聞いたら、『食べていいって言われていない』と答えるから、まあうちの娘はなんという躾をしているのだろうと思ったの」と言ったことだ。

そこまで子どもらしさを奪われ、「許可」がないとなにもできない子どもになっていた。

 

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