【前回記事を読む】「お前の部屋から煙が出てる。火事じゃねえのか」同じアパートの住人から電話…嘘だ!あの部屋には孫娘がいるのに…

Case:B 元・医者の選択

「若菜は体表面の七十パーセントにⅡ度からⅢ度の火傷を負っている。成人患者の場合、年齢と受傷した面積の和が百を超えると死亡に至る可能性が高まる。あの子はまだ十四歳だから厳密には当てはまらないが、単純計算で十四+七十だから八十を超えているんだ。

おまけに火傷はな、受傷直後は意識もしっかりして会話できる人も多い。それから徐々に血圧が落ち、呼吸にも影響が出てきて最終的に多臓器不全になり、死に至る。

それが恐ろしいんだ。この手の死因は殆どが全身やけどで血流が不十分になり内臓が正常に機能しなくなる循環血液量減少性ショックに当たる」

景浦は景色を一望できるテラスの柵にもたれかかり、遠い目で話した。これが現実に起きたことだと信じていないような顔つきだ。

「もっとも、あの馬鹿者が後先考えずに家に飛び込まなきゃ若菜も間違いなく死んでただろうがな」

「長年付き合いのあったご友人とのお別れはお辛いことと胸中お察しします。この度はご愁傷様でした」

「いい。心ばかりの慰めなど結構だ」

あの日、山城から連絡を受けた良三は鬼気迫る表情で景浦の家から飛び出していった。景浦もすぐに後を追ったが普段から体を動かしている良三に追いつけるはずもなく、現場に到着した時点で一介の老人にできることなどなかった。

玄関のドアから漏れる黒煙と、割れたガラスの奥に見える真っ赤な炎は今でも景浦の目にハッキリと焼き付いている。直後に消防隊が到着して火は消し止められたが、この火事で良三と千代が亡くなり、若菜は意識不明の重体となった。

「ワシは若菜を生き返らせたい」

「景浦さん、私が行うのは生き返らせるということではなく――」

「分かってる。みなまで言うな。ワシの命を生贄にする必要があるんだろう? これでも世間の流行は気にしてるほうなんでな。長いこと病院勤めをしていればワシみたいな老いぼれでもそういった都市伝説が耳に入る。なんのリスクもないまま人を生き返らせるなど医者にだって出来やしないんだ。そんなものに縋りたくもなるさ」

「では、景浦さんはもう決めているのですか?」

「老いぼれの命で若い人間の未来を繋げるんだ。こんなに喜ばしいことはないだろう」

「しかし……」

「だったらこうして話しているこの間に容態が急変して若菜が死んだらアンタは責任を取れるのか?」

その問いに課長が言い淀んでいると景浦は「即答できないのなら黙ってワシの願いを聞いてくれ」と畳みかける。

「何を悩む必要があるんだ。未来ある若者のために老兵が命を擲つ。素晴らしいことじゃないか」

大げさに両手を開き、まるで演説でもしているかのような景浦に、課長は気味の悪さを感じた。価値観が全く違う国の人間や宗教に傾倒している者と話しているような気分だ。