【前回記事を読む】紫式部はなぜ日記を書いたのか? 彼女は長い間、信頼している相手に日記を送り続けていた。2人の間には暗黙の了解があって…
第一章 紫式部日記
二 日記はいつ書かれたか
水鳥と駕輿丁
十月十六日、一条天皇の土御門邸行幸の際には、階段の先で身を屈める駕輿丁(かよちょう)を見て、自分も同じようなものだと思っている。
御輿(みこし)むかへたてまつる船楽(ふながく)、いとおもしろし。寄するを見れば、駕輿丁の、さる身のほどながら、階(はし)よりのぼりて、いと苦しげにうつぶしふせる、なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかしと見る。(一五三)
このころの作者は、見るもの聞くものにつけて、わが身と引き比べて、愁いに沈んでいる。水鳥を見て、水鳥もつらいだろうと思い、駕輿丁を見て、自分も駕輿丁と同じようだと思うのは、当時の作者の心情がそれほど暗かったことを示している。
作者は駕輿丁を駕輿丁の身分の者として見て、自分も「高きまじらひ」をしていても同じだと思っている。作者の身分の低い者に対する見方は、日記に「あやしきしづの男のさへづりありくけしきどもまで」「何ばかりの数にもあらぬ五位どもなども」などとあり、「下衆の家に雪の降りたる」と言う『枕草子』と同じである。