【前回記事を読む】【紫式部日記】書くことがなかった正月のはずが...寛弘六年・七年正月の日記は、後に加筆修正されている

第一章 紫式部日記

二 日記はいつ書かれたか

断り書き

日記の中で、次のように、作者が相手に対して、「それは見なかった」「見えなかった」と断りを言っている箇所がある。

禄などもたまひける、そのことは見ず。(一三七)

右衛門の督は御前のこと、沈(ぢん)の懸盤(かけばん)、白銀の御皿など、くはしくは見ず。(一四一)

またつつみたるものそへてなどぞ聞きはべりし。くはしくは見はべらず。(一四九)

御まかなひ橘の三位、青いろの唐衣、唐綾の黄なる菊の袿(うちき)ぞ、表着(うはぎ)なんめる。ひともと上げたり。柱がくれにて、まほにも見えず。(一五七)

うちやすみ過ぐして、見ずなりにけり。(一六〇)

何くれの台なりけむかし。そなたのことは見ず。(一六二)

弁の内侍、中務の命婦、小中将の君など、さべいかぎりぞ、取りつぎつつまゐる。奥にゐて、くはしうは見はべらず。(一六二)

中宮の大夫、四条の大納言、それより下は、え見はべらざりき。(二二一)

また、次の箇所では、「よく知らないので、間違っているかもしれない」と断りを言っている。

藤三位(とうさんみ)をはじめにて、侍従の命婦、藤少将の命婦、馬の命婦、左近の命婦、筑前の命婦、少輔(せう)の命婦、近江の命婦などぞ聞こえはべりし。くはしく見知らぬ人々なれば、ひがごともはべらむかし。(一四七)

断り書きは、日記の相手に対する説明、言い訳などの心情によって書かれていると考えられる。必要ないことを省略している場合もあると見られる。