日記に何を書いたのか
作者は半年にわたって書いてきた日記を閉じるにあたって、次のように述べている。
御文にえ書きつづけはべらぬことを、よきもあしきも、世にあること、身の上のうれへにても、残らず聞こえさせおかまほしうはべるぞかし。(二一一)
この部分の口語訳は、次のようになる、
普段のお手紙に書けないことを、よいことも悪いことも、世の中の出来事や、自分自身の心の憂いも、残らず聞いていただきたいと思うのです。
普段の手紙に書けないことを、日記という形で書きたいということが、この日記を書いた動機であったと考えられる。このことから、作者が日記を書き送った相手は、普段手紙をやりとりする人であると考えられる。
日記の内容は、世の中の出来事や、自分の思いで、これは前年八月から今まで書いてきた日記の内容と完全に一致する。作者は土御門邸のさまざまな行事と、その時々の心の憂いを書き続けてきた。「世にあること」と「身の上のうれへ」が、同等の重みを持つことは注目するべきことである。日記に何を書いたかについては、河内山清彦氏の論がある。(1)
華やかな行事の合間合間に記される憂愁の思いは、日記の印象をより深くしている。
憂愁の記述の例を引用する。
行幸近くなりぬとて、殿のうちを、いよいよつくりみがかせたまふ。よにおもしろき菊の根を、たづねつつ掘りてまゐる。
色々うつろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植ゑたてたるも、朝霧の絶え間に見わたしたるは、げに老(おい)も退(し)ぞきぬべき心地するに、なぞや、まして、思ふことの少しもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなしわかやぎて、常なき世をもすぐしてまし、めでたきこと、おもしろきことを、見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心の、ひくかたのみつよくて、もの憂く、思はずに、嘆かしきことのまさるぞ、いと苦しき。
いかで、いまはなほ、もの忘れしなむ、思ひがひもなし、罪も深かなりなど、明けたてば、うちながめて、水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを見る。