水鳥を水の上とやよそに見むわれも浮きたる世をすぐしつつ
かれも、さこそ、心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかんなりと、思ひよそへらる。(一五一)
行幸の日が近づいて、土御門邸は一段と美しく磨き上げられていく。庭一面に咲く菊の花を見ても、もの思いのない身であったならば、楽しそうに振る舞うこともできるのにと思ってしまう。すばらしいものを見ても、かえって心の憂いが意識されて、嘆かわしさがつのってしまう。
しいてもの思いを忘れようとするのだけれど、夜が明けて、水鳥が遊ぶのを見ても、我が身と思い比べて、水鳥もつらいのだろうと思わずにはいられない。
日記に見られる作者の憂愁の思いは、家集では、宣孝没後の朝顔の歌あたりから見られるもので、人の世のはかなさ、世にあることのつらさを嘆く心情であり、宮仕えにあっては、小少将の君や大納言の君と共有しあうもので、両者との歌のやりとりがある。
日記に憂愁の思いを記したのは、相手にわかってもらいたかったからであり、また相手とは、わかってくれるはずだという信頼関係にあったと考えられる。作者は長く一人の相手に日記を送り続けているが、日記は二人だけの秘密事項であったというわけではないと考えられる。
作者が作品の返却を求め、相手も応じているのであるから、作品はやがては物語仲間に披露するものであるという、二人の間の暗黙の了解があったと考えられる。作者と物語仲間は、歌や身辺雑記などの作品をやりとりするのであるから、作者と物語仲間の間には、日記以外にも多くの作品のやりとりがあったと考えられる。
(1) 河内山清彦 『紫式部集・紫式部日記の研究』 桜楓社 一九八〇年
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