【前回の記事を読む】前方後円墳と三角縁神獣鏡は物部王朝の象徴だった。福岡県苅田町の石塚山古墳から出土した鏡は、畿内を含む10ヶ所の…
歴史調査報告02 石塚山古墳と失われた王朝
1 ある除幕式の光景
除幕式の当日を迎えたこの日、苅田町からは遠田町長をはじめ、町教育長や地区の区長が参列し、法人会側も野中会長以下役員・理事の面々が集まった。
京築地域には、正当に評価されていない遺跡等が多くある。そのひとつひとつに光を当てていくことができれば、これまで定説とされてきた歴史とは異なる事実を発見することもできるかもしれない。
この看板を実際に設置する以前、遠田町長への説明前から石塚山古墳にしたいという思いはあった。この古墳から出土した七枚の三角縁神獣鏡についてのこだわりが、今回の看板の肝であることは間違いない。完成した看板には写真がふんだんに使われており、わたしとしてもまずまずの出来であった。
2 前方後円墳と三角縁神獣鏡
さて、話を調査報告に戻そう。石塚山古墳の中身は江戸時代に取り出されている。なかでも十四面(現存七面)の三角縁神獣鏡が含まれており、被葬者は相当な実力者であったと思われる。
また前回の赤塚古墳でも触れたが、ここから出土した銅鏡の一部は驚くことに赤塚古墳と同笵鏡であり、価値観を共有する集団が旧豊国内では既に形成されていたと考えられる。現在これらの銅鏡は、近くに鎮座する宇原神社が管理している。
三角縁神獣鏡の他には、古い形式の素環頭太刀も発掘されている。この二点の副葬品からも間違いなくこの被葬者は中国大陸と深い交流があり、これらは大陸から直接伝来してきたものと断定することができる。また太刀というのは極めて実用性が高い武器である。祭祀に使用するようなものではなく、戦うことが目的だった。
ただ倭国内の治世が安定期に入ると、この柄の部分に装飾が加わり権威を象徴する威信財に変遷する。ただそうなるにはこの太刀の時代からもう少し時間が必要であった。石塚山古墳に埋葬された被葬者は、少なくとも鏡に象徴される祭祀権と、太刀に象徴される軍事権の二つを同時に有していたと考えられる。
さて、同笵鏡については、この他に岡山県の鶴山丸山古墳(四世紀後半)、奈良県の桜井茶臼山古墳(三世紀後半)、京都府の椿井大塚山古墳(三世紀後半)からも出土している。どこも前方後円墳だ。前方後円墳と三角縁神獣鏡の関係は非常に深いものがある。
この件に関しては、九州の物部氏が関与しているのではないかと思わざるを得ないのだ。石塚山古墳の被葬者も、わたしは物部氏系の王族だと考えている。ただ結論に至るにはもう少し時間が必要だろう。