【前回の記事を読む】【四国お遍路】恩山寺は災厄悪疫から住民を救う女人禁制の道場だった。しかし弘法大師は修行中、禁を犯し女人を招き入れた

第1章 発心の道場――徳島県[阿波の国]

7日目 難所の二重奏(3月19日)

20番札所霊鷲山宝珠院鶴林寺は、鷲が尾の山頂(標高550m)付近にあり「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と呼ばれる阿波の三難所寺の一つです。境内には、樹齢800年以上といわれる巨木が悠然と立ち、山岳霊場の趣を呈しています。

鶴林寺から大龍寺までの遍路道に、江戸時代の1809(文化6)年照蓮が建立した道標があります。照蓮は『四國遍禮道指南』(講談社 2015)を書いた「眞念」を慕い、眞念と同じように遍路道沿いに千躰の道標を目標に、造立していったといわれています。(『四國遍禮道指南 全訳注』眞念著、稲田道彦訳注 講談社 2015参照)

この間の二つ山越えの遍路ころがしは、上下と左右の勾配が合わさった、三次元の遍路ころがしです。

江戸時代に建てられた道標(丁石)

21番札所舎心山常住院太龍寺(たいりゅうじ)は、「西の高野」とも称され、四国山脈の東南端、太龍寺山(標高618m)の山頂近くにある、弘法大師が修行した古刹です。実は、現在でも本堂左の求聞持堂に籠もって一日二万編、虚空蔵菩薩の御真言を唱えるのを50日続け、遍虚空蔵菩薩求聞持法の修得に挑む修行僧がいるそうです。

22番札所白水山医王院平等寺の巡拝では、初めてズルをしてしまいました。焼山寺のような1200年前の遍路道とは異なり、上りやすいように手を加えてありましたが、10時間以上も歩き続ける二つの山越えで、ようやく着いた時には納経所が閉まる午後5時間近だったのです。このため、参拝する前に御朱印を頂きに行ってしまいました。申し訳ない。