12番札所焼山寺への遍路道(徳島県神山町)

はじめに

うとうとしながらジャンボタクシーの窓に寄りかかり、流れ過ぎる大海原を眺めていました。突然、金剛杖を手に菅笠をかぶり、ひたすら歩く白装束姿が目に入り、あっという間に追い越しました。

そのひたむきな姿は、雲水の修行姿そのものでした。

目の前の一歩いっぽを重ねる姿に、これからの人生の有り様を重ね、「四国八十八ヶ寺を歩いてみたい」。こんな気持ちがふつふつと沸き起こりました。

40年にわたる長い現役生活の終わりを目前にして、退職したらやってみたいことは何があるのだろうかと、さしたる理由もなく考えていたとき、何度か耳にしたことのある「四国お遍路」が浮かびました。

しかし、現役生活からの卒業を目前にした2011(平成 23)年3月11日に東日本大震災が発生し、3月末に退職辞令を頂いたその足で、甚大な被害を受けた宮城県南三陸町へ行政ボランティアとして赴き、「四国お遍路」は、一瞬の間に消えてしまいました。

それから10年、被災者支援等に関わり、2021(令和3)年3月31日、50年にわたる現役生活を終え「市井の人」になりました。

正真正銘の現役卒業の時を迎え、あらためて 10年前の「四国お遍路」を思い出し、すぐに飛び付きました。何の予定も書き込まれていない真っ白な手帳を手に、「何をしたら良いのか整理がつかなかった」というのが、正直なところです。

同年4月に乗り合いタクシーを使った四国八十八ヶ寺お遍路に出ました。3日目の昼過ぎです。23番札所薬王寺(やくおうじ)から24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)までの約80キロの途中で、冒頭の「歩き遍路さん」に出会ったのです。

この時から「散歩」そして「ウォーキング」へと2年の時を掛けて、「四国八十八ヶ寺歩きお遍路」通し打ちに挑戦です。

信心深い訳ではありません、かといって四国観光でもありません。では、「楽ではない お金もかかる 大変なだけ それなのになぜ行った⁉」のか。