【この芥川荘にちなむ作品】
この一文を書いていて、芥川は金持ちのボンボンで定職もないときに南総の開放的な海辺の旅館の「離れ」で遊興の限りを尽くしていたのではないかという雑念妄想があった。その辺の事情の調査。
~一宮川河口に位置する旅館・一宮館。1914(大正3)年と1916(大正5)年に芥川龍之介はその離れに滞在した。芥川は滞在中にこの離れから、後に妻となる塚本文に長い求婚の手紙を送り、一宮での思い出を『微笑』『海のほとり』『玄鶴山房』『蜃気楼』などの作品に登場させている。
建物は1897(明治30)年の建築。茅葺寄棟造(よせむねつくり)の木造平屋建て。主屋と次の間2室の三方に縁側を回らせ、縁側の一端には洗面所を設けている。当地方の伝統的な民家建築技法で建てられ、周囲の松林の閑静な雰囲気と相まって良好な景観となっている。~
〈一宮町観光協会HPより要旨抜粋〉
さて、この時期芥川は以下のような作品群を生んでいる。
〈翻訳関係〉・『バルタザアル』 1914(大正3)年(翻訳、原作アナトール・フランス)・『ケルトの薄明』1914(大正3)年(翻訳、原作ウィリアム・バトラー・イェイツ)・『春の心臓』 1914(大正3)年(翻訳、原作ウィリアム・バトラー・イェイツ)・『クラリモンド』 1914(大正3)年(翻訳、原作テオフィル・ゴーティエ)
〈創作作品〉・『ひょっとこ』 1915(大正4)年・『羅生門』 1915(大正4)年・『鼻』1916(大正5)年・『芋粥』 1916(大正5)年・『手巾』 1916(大正5)年・『煙草と悪魔』 1916(大正5)年
岩波新書『芥川龍之介』(関口安義著)にも「龍之介が一宮館でひと夏を過ごしたときの様子や、夏目漱石との深い師弟関係もくわしく紹介されています」とあり、その文中には以下の記述がある。
〜「大学卒業後、芥川は俸給が定まらないまま、大学院に籍を置き、創作に勤しむこととなる」。 この時代の文芸作家の仕事というのは、経済的にどうであったかを偲(しの)ばせる。やがて恩師・夏目漱石の配慮で定職を得ることになるが、日本文学業界の基盤となる作家の経済構造も草創期であったといえるのだろう。
恋文の中で「僕のやってゐる商売は今の日本で一番金にならない商売です。その上僕自身も碌(ろく)に金はありません。ですから生活の程度から云へば何時までたっても知れたものです」と書いているのは正直なところだったのだろう。
「大学を卒業し創作時間は大幅に増えたとは言え、著述に没頭できる時間はいくらあっても足りないほどだった。……一宮滞在中(1916年)芥川は同宿の友人と海で泳ぐ一方、計画的に読書をし、翻訳をし、小説を書き、絵や俳句に勤しんだ」と記述されている。