【前回記事を読む】芥川龍之介が泊まった「芥川荘」には、筆が進む空間の工夫があった…机の位置が南西の角に配置されていた理由は…
九十九里の草庵「芥川荘」 芥川龍之介
【創造生産性の高い空間】
文机自体は非常にコンパクトであり、「原稿用紙」という紙の上に、自分独自の感受性を濾過した言葉が、書き連ねられていく。ほぼ「執筆」作業だけに集中する平面なのだと想像できる。原稿用紙に意識を集中させられる「広さ」、スケール感には、漢字とかな文字を扱う民族伝統的選別眼があったと推認できる。この列島社会で筆で文章を記すときの普遍的な体動作経験則。
執筆上不可欠な参考文献の類は周辺の畳の上に散乱していたに違いない。事実この時代の他の作家たちの執筆空間もこのような平面構成になっている。
しかしその執筆環境以上に、「ふと目を休める」外部環境としての周辺的な「空気感」は非常に重要な「生産性」に直結する環境要件だったと見られる。
この芥川荘の場合には、防砂林の緑環境とそこを吹き渡ってくる「南風」が、作家の脳幹に刺激を与えたに違いない。ときどき集中しすぎて充血した目を休める周辺環境として、砂防林と生け垣が緑を提供して、心身の平安を視覚的に担保していたに違いない。
恋文まで書いたのだから、かれのナマの本性を解放できる環境だったのだろう。この時代人が「こういう環境ならば作家は気持ちよく大量のいい作品を生み出してくれる」と商売っ気満々に提供した空間ということになるのだろうか。
人間の根源的な性欲レベルについて、それをハッキリと言語化する、できるというのは、自分の本然と正面から向き合っているということの、ひとつの証であるかも知れない。少なくともこの空間で、かれ芥川は、その心象をごく自然に解放させられた。
事実として芥川は小説作品を生産しその高揚のままにラブレターまでしたためた。旅館側はその「生産物」についてまでもしっかり着目し作家の親族に許諾を求めて、恋文の碑文まで建造して大々的に一流旅館のシンボルとして活用している。そして今日、わたしのような人間にまで投網をかけ続けている。
こういう個人の内面世界まですべてさらけ出す、さらけ出させるという文化「習慣」がその後の日本の作家、芥川龍之介から太宰治などの「自死」の系譜に暗く影を落としているとも思えてくる。作家のある劇的な想像力の発露の瞬間を導いた空間それ自体への興味と、そこが今日でも多くの一般人が滞在できる旅館だという意味で、まことに興味深い事例。