【前回記事を読む】「食べてしまいたいくらい可愛い」。文豪であり、“愛妻家の芥川龍之介”が残した赤裸々すぎる恋文
九十九里の草庵「芥川荘」 芥川龍之介
【天国に一番近い浜辺の「通風重視」軽建築】
石原慎太郎ではないけれど、まさに「太陽の季節」。夏目漱石の時代は日本が新進国家としてあらゆる産業を勃興させ、社会を欧米・近代に追いつかせることに全力を注いだ時代。そういう明治初年の世代心理から、芥川のような天才の文学の仕事が日本社会の文化の再創造に欠かせないと、このはるかな東大の後輩を見て夏目漱石は判断したのだろう。
室内にはこの時期の交友関係が示された手紙・ハガキが展示されていて、菊池寛からのハガキ文面をも確認することができた。おおむね2週間程度の芥川の滞在期間中にのちの「文藝春秋社」創設者・菊池寛からハガキが来ているということは、のちの菊池寛と芥川の関係をも予測させる。
根拠薄弱ながら、わたしの推測としては「作品制作の場」として滞在費を出資し新進気鋭の作家を「缶詰め」にして作品執筆に当たらせる、のちの日本商業出版文化の慣例の初期の例だったのか?とも想像した。
建物はいかにも温暖地の開放型住宅らしくて北海道人には、夢のようなパラダイス気候環境を想像させてくれる。「こんなのでも冬、たいして寒くないんだ」という気候条件そのものに対し強くわたしの感受性が反応して、いわば底抜けの温暖地日本的な心理的解放感をこの庵に見ていた。
そういう日本の温暖・蒸暑地らしい住宅建築の「いごこち」についてちょっと考えてみたいので、この庵の住宅環境を掘り下げてみたい。