【温暖地のいごこち、空間性の科学】
〈芥川荘の防砂林側に面した縁方向から 筆者撮影〉
温暖地・蒸暑地での人間体感環境について、それはあまりにも日本民族にとって身近すぎてそれほど「科学する」対象ではなかった。その民族にとって、その住み暮らす土地の気候風土は、先験的な事項でその民族の衣食住のすべてにわたっての「前提条件」であって、根本的に対応・解決すべき事項とは認識されなかった。
いやそれ以上に「母なる」環境であって、その恩恵に浴することのほうが、圧倒的に大きいのだろう。
母親の肉体に似た環境には愛着こそ感じることはあっても、それを否定的にとか、冷静な客観的価値判断をもって裁断・論議するということは、馴染まないのだろう。やはりコメを持って太平洋沿岸に流れ着いた黒潮文化圏のひとびとが、縄文の世にこの列島社会の基底文化を根付かせたのだと思える。
一方、日本列島社会で蝦夷(えぞ)地と呼ばれ続けた北海道は、その過酷なまでの寒冷の冬が熱く「科学」されてきたと思う。日本民族の形成において、稲作の推進・拡張ということがその社会の基盤とされてきたことから、蝦夷地は幾度か、そのチャレンジは行ったけれど、結局は稲作不適格地としてながく日本民族は領土化を放棄してきた。
明治以前には蝦夷地の利用は漁業資源収奪が日本民族として主要な興味対象であって、米作が不向きな気候条件から「一所懸命」の土地と見なされることはなかった。
それが幕末〜明治期に至っての世界列強、とくに日本ではロシアの南下占領の意図、むき出しの帝国主義侵略・理不尽な蝦夷地領土主権主張への対応、国防的な要請からの日本民族の移民推進政策の結果、ようやく寒冷気候へ対応した居住「性能」環境ということを前向きに考え始めたといえる。