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花祭り(仏陀の誕生日)

日本には、「お釈迦になる、お釈迦にする」という二つの言い回しがあります。平均的な仏教徒にとって、この「お釈迦になる、お釈迦にする」という二つの言い方は、弱火の溶接の方が、強火の溶接よりは良質の製品ができるという意味です。

たぶん、質の悪い製品がこの「火が強かった」という日本語の言い方と関係しているからなのでしょうね。ほら、「火が強かった」と「四月八日」「しがつようか」は同じように聞こえませんか。

だから、「お釈迦」は不良品や使い物にならなくなった物も意味します。水に浸かった車や電化製品が使い物にならなくなった時、「お釈迦になる」と言います。

集中豪雨の後によく聞かれる言葉です。もう一つ例を挙げると、事故で潰れた車は「お釈迦になる、お釈迦にする」というように使われます。現在は、主にこちらの意味で使われているようです。

「仏になる」という言い回しもあるのですよ。これは死ぬという意味です。何故、仏教に関係したこれらの言い回しは悪い意味ばかりなのでしょうかね。

これは、日本人の仏教に対する意識を示唆しているのではないでしょうか。仏教の教えは平均的な日本人にはそれほど浸透していませんから。

冠婚葬祭で触れる以外にはね。冠は出産や成人などのお祝い、婚は結婚、葬はお葬式やお通夜の儀式、祭は花祭り(灌仏会)等です。

それに、日本人は子どものお宮参りや七五三には神社に参るし、秋祭りの御神輿も神社を中心に行われるので、仏教行事はお通夜やお葬式、お盆やお彼岸などに限られています。

つまり、祝い事は神社で行われることが多く、人の生死に関わる行事は仏教を中心に行われることが多いようです。

仏教では、祭事などの行事が重要視されなかったから、インドでは衰退したという説もありますが、仏陀が生老病死の問題を解決しようとした時、死後の世界よりも現世でどのように生き、人生の移ろいをどのように受け止めるかに焦点が置かれていたと思います。

現代の日本人が、仏教の示す人生の指針を死後の世界同様、意識しているのだろうかと思うのです。

大乗仏教で、仏陀が最後に説いたと言われている法華経の仏典の中に、「一隅を守り、千里を照らす」という言葉があります。

誰も生きていれば、老いや病、死を避けることはできません。けれども、自分の居場所でこれならできるということに取り組み、世界をより明るく温かい場所にするように努力することはできるのではないでしょうか。

生きることの意義を示し、私達を励ましてくれる法華経のこの部分が好きです。