5月3日(哀悼の日)
2002年5月3日、午前0時前、私はアメリカの友人にメールを送りました。その日は朝日新聞の記者だった小尻知博さんが、阪神支局で銃弾に倒れて亡くなった日から15年目を迎えた日で、この痛ましい事件が時効を迎える日でした。
私はメールの中で次のように書きました。
15年前の今日、あるジャーナリストが凶弾に倒れて亡くなりました。次の朝の新聞で、その写真を見た私は、その顔をどこかで見たことがあると思い名前を確認しました。
やはり、そうでした。その人は私が大学時代に所属したことのある「英米文学研究会」のメンバーでした。と言っても、私がそのサークルに所属して活動をしたのは、3回生になってからで、小尻さんは 3 回生になる時サークルをやめられたので、そんなに会う機会はありませんでした。
私の通う立命館大学の文学部と法学部のキャンパスは河原町通りの府立医科大学前にあったのですが、私が 3 回生になる時、文学部だけ衣笠に移転したので、サークルもそれに伴って衣笠に移転したのです。
「英米文学研究会」の人達によると、法学部の学生だった小尻さんは、元々新聞記者志望でものすごい勉強家だったそうです。
下宿の床が抜けるくらい本があって、下宿の小母さんから文句が出たこともあったとか。河原町通りの広小路から衣笠まで通う時間がもったいないということで、サークルをやめられたと聞いています。
それでも、年に何度か開かれる読書会や、和歌山県大島で行った夏合宿ではお会いしたことがあります。私達は英米の短編小説を読んだり、歌唱大会やソフトボールをして楽しみました。
同じ広島県出身でしたが、小尻さんは南部の海に近い呉市川尻町の出身で、私は北部の山間部の出身だったので、同県出身と言っても共通点は無かったですね。物静かな人という印象を受けました。
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