【前回の記事を読む】人生初の旅先は、能登半島だった。19歳の夏、見たことのない青い海と美しいトビウオの光。それらは能登の海が教えてくれた。
旅が教えてくれたもの(青春編 京都・北陸・中国大陸)
中国への旅 1984年
南京から上海までは汽車に乗りました。途中、徐州という駅を通過し、「ここが、戦時歌謡『麦と兵隊』の歌詞に出てくるあの徐州か」と思いました。1938年日本陸軍と中国軍が戦った所です。「日本軍はよくもこんな広大な土地で戦争なんかしたものだ」と改めてその無謀さと思い上がった勝手さに呆れました。
会う人達はみんな「戦争は日本国民のせいではなく、軍部の責任だ」と言ってくれますが、「ああ、そうです。私達の預かり知らぬことでした」では済まされないことを私達はよく分かっているのです。人の命に関わることや他国に迷惑をかけるようなことには命がけで反対しなければならないことを歴史は教えてくれています。
ただ、その勇気が私にもあるでしょうか。コロナ禍でのオリンピック開催に反対署名をしましたが、想像を絶する危険を孕んだオリンピックは観客を入れて開催されようとしました(実際には、無観客で行われた)。国民の大半が反対でも強行する国のやり方と、戦争に突入した軍部や国のやり方を重ねるのは極端な話でしょうか。
中国はそれでも日本人の戦争孤児達を育ててくれました。感謝です。
上海は異国情緒溢れる活動的な都市でした。上海大廈から見下ろした河には水上生活をする人達の船が浮かんでいました。上海では魯迅記念館とそのお墓を訪ね、授業に使うスライドも手に入れることができました。
魯迅の旧居を訪れたのはそれから25年後のことです。三次市日中友好協会の旅行に参加した時、連れ合いと二人で魯迅の旧居を訪れました。大学時代から敬愛する魯迅の旧居を訪ねることができて幸せです。
話を元の旅に戻します。上海の少年宮や魯迅記念館を案内してくれた通訳の方さんは大学の先生でしたが、夜、涼を求めて集まってきた人々で賑わう外灘を案内してくれた時、彼の持つ恋愛観や女性観について話してくれました。大勢の人達が暗い海を航行する船を遠くに見ながら話していました。
「自分はお化粧をして着飾り、夫の帰りを待つような女性は嫌いで、女性とは対等で心から愛し合いたい」と。私は「日本人男性は心でそう思っていても、口に出しては言わないかもしれないな」と思いました。