【前回の記事を読む】酸欠で死ぬかと思ったあの夏。部屋は蒸し暑く無風状態、足は蚊に噛まれながら、私はクラリネットを吹いていて…
旅が教えてくれたもの(青春編 京都・北陸・中国大陸)
初めての旅──北陸へ 1977年
大学2年生の夏、吹奏楽部は富山市でサマーコンサートを行いました。コンダクターが富山市出身だったからです。故郷に錦を飾るという訳でしょうか。「アルメニアンダンス」や「クイーンシティ組曲」等を演奏しました。富山市は北陸とは思えない暑さでしたね。
サマーコンサートの後、私を含めた四人のメンバーが能登半島にある友人の家を訪問することになりました。友人は金沢市の兼六園や忍者寺などに私達を案内した後、能登半島の先端にある彼の家に連れて行きました。非常に美しいお母さまが車で私達を運び、輪島の朝市や千枚田を見せてくれました。
ある時、漁師をしている彼の親戚のおじさんが、船を海に出してくれました。船の縁にしがみついてきゃあきゃあ怖がっている私達の側で、トビウオが跳ねていました。魚が空中を飛んでいるのを見たのは初めてです。
海の上を飛び回るトビウオのからだがお日さまの光を反射してキラキラ輝いているのが、とてもきれいでした。夕暮れ時に仕事帰りの人々が海岸でバスを乗り降りするのを見るのは、山に囲まれて育った私にとってとても珍しく新鮮な光景でした。
夜、「蛍の光」に送られて、佐渡に渡る連絡船を皆で見送りました。ランプに照らされた烏賊釣り船を見たのも初めてで、その光景が40年以上経った今でも目に焼き付いています。海が、思っていたよりもずっと青かったのが印象的でしたね。19歳の夏のことです。
最後に友人が連れて行ってくれた「恋路海岸」、残念ながら悲恋だったそうです。
この旅は、私がそれまで知らなかった世界に向かって目を開いた最初の旅になりました。私達に色々な体験をさせようと骨折ってくださった友人とお母さまには本当に感謝しています。私達は皆若くお金がなかったので、そんなに遠くまで旅行をしたことがありませんでしたから。