干からびた左半身は、私にはとても安心できる場所だった。そこにいれば、私を苦しめている言葉や人の動き、目をそらせたい事実などが、鋭利なガラス片や銃弾に姿を変えて突き刺さったとしても、私の意識はダメージを受けないのだった。
枯れ木の腕を一振りすれば、突き刺さった無数のガラス片は、簡単に床へ落ちていくだろう。硬く乾いた木をほじくれば、弾丸は簡単にえぐり出される。ダメージの伝播手段となる樹液は一滴も残っていないから、枯れ木の奥底に潜む私は、樹皮に何が突き刺さろうが、痛くもかゆくもないのだった。
左半身全部が、茶色で汚らしい枯れ木としかイメージできない身体だから、何に、どんなに傷つけられても、まったくかまわないと思えるのだった。
けれど右半身は生身だった。そこには二割の意識を残していた。
ガラス片や銃弾に象徴されている『もの』は、右半身にも容赦なく突き刺さっていた。でもたった二割の意識では、痛いとか苦しいとか辛いとか、そういった感情は湧いてこなかった。「ああ、何か当たっているなぁ」と思うだけで、無感覚といってもいい状態になっていた。その二割の意識が、カウンセラーへの説明役を引き受けていた。
枯れて死んでいる左半身は、完全に外部との接触を拒否していた。そこに逃げ込んでいる八割の意識は、現実で私を苦しめている『もの』から目をそむけ、関わろうとしていなかった。自分の意識の中に潜む苦痛を右半身が語っているにもかかわらず、左半身は他人の身に起きた出来事のように聞き流していた。
次回更新は4月17日(金)、14時の予定です。
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