部屋を暗くして目を閉じ、おなかが温まるようなイメージを作る。温まった頃を見計らって、カウンセラーがささやく。
「温まってきたら、イメージの扉が開きます。何かが見えてきたら教えてちょうだい」
私のイメージの扉は、劇場の舞台に下がっている何重ものカーテンに似ていた。私はその一枚一枚を丁寧に開いていく。重たいカーテンは、きれいなひだを何本も作りながら舞台のそでへと移動していく。やがてそれらがすべて開き終わり、真っ暗な自分のイメージ世界に入り込む。
するとその暗がりの中に、だんだんといろんな映像が浮かんでくる。私は思い浮かぶ映像を正直に喋るだけだが、けっこう真実を語っているらしい。意味が解らないときもあるが、現実と照らし合わせると、現在の悩みと一致し納得できることもある。
けれど、イメージ療法が終わったあと、カウンセラーがイメージ世界についての自分の考えを語ることはない。私がその世界を見つめ、私が語るだけだ。明快な答えを得るために行っているわけではないが、イメージ療法を受けると私は気分が楽になるのだった。
私は今、『ネコニャ』を失った苦痛から逃れたくて、イメージ療法を受けている最中だった。私はネコニャを見た最後のシーンを思い出していた。
「そのときのことを語れるかしら?」
再びカウンセラーの声が右耳から入ってきた。今日の私は、左耳が聞こえなかった。イメージ世界の中で、左半身が枯れ木になっていたからだ。
なぜそうなったのかは解らないが、左半身はからからに乾いて黒ずみ、死んでいるように無感覚な状態になっていた。私の意識の八割は枯れ木のようになっている左側の中にあった。