【前回の記事を読む】「年寄りは長生きさせることだけが正しい」そう決められたように生かされる。生きる喜びを失った高齢者は…。…

第1章 人生後になるほど面白く

子供には無限に時間があるように言うのはもはや屁理屈としか聞こえてこない。

20年も過ぎれば社会人への入り口という最初の関門が待っている。

そして会社に入れば仕事に追われ出世に追われ、また住宅ローンや子育てにも追われ、40年も不自由極まりない制約された時間を過ごすこととなり、せっかくの休みの日も家族サービスと称して動き回り、生きる時間は長くあったが自由な時間はほとんどない日々を過ごすことになる。

定年を迎えたあなたは、これからはゴール地点の決まっていない「死ぬまで無限な自由な時間」が人生初めて与えられたのですから、医者から余命通達を受けるまでは、これを楽しまなくては何のために生まれてきたのか、今までの勉強と経験を生かさないのはもったいない限りであります。

今日も明日も今月も来月も、今年も来年も大満足に生きなくては嫌だ~。

「いやいや心配してくれなくてもいい、私は毎日自由な時間を楽しんで生きている。朝からちょっと一杯朝酒の気付け薬を飲み、昼は栄養ドリンクのつもりでビールで栄養と水分の補給を行い、夜の晩酌は今日一日の感謝を込めて飲むことにしている」なんて豪快な人もいる。

「何といっても明日の予定がないのだから、何の心配もなく安心して酒が飲める。天国のような毎日だよ。まあ1人だけうるさいのがいるけど、向こうも何か勝手にやっているからあいこだ」

そのうるさい相方は

「私は旅行が趣味なの、だから日帰り旅行を入れたら1か月4回は出かけるわ。旅先できれいな景色や珍しいものを見学し、美味しいものを食べ、食べた後は温泉に入ってお肌のお手入れとストレス解消ね。一番の問題は旅行から帰ってくると1キロは体重が増えていること……太るのはちょっとみっともないけど貫禄付くのも健康の証拠ね」

と、苦しい言い訳をする。

お金のある人は、その金が続く限り、足腰丈夫で歩ける健康がある限り、そしてボケなくて命がある限り、心許せる同伴者がいなくなるまで飲み続け食べ続ける。

その反面、お金のない人や同伴してくれる人がいない人は、テレビの番をしたりペットに慰められながら家の周りをひたすら歩く日課となる人が多い。

もちろん全く歩かない人もいるが、毎日2時間も歩いても時間は余り散歩の後は朝寝、そして昼からはショッピングモールの中を歩き、疲れたら昼寝をする。楽しいかどうかではなく、よく言えば健康維持のためのルーチンである。