【前回の記事を読む】「今日も退屈な一日であった」——酒を飲み、飯を食い、風呂に入って床に就く。そして明日も変わらぬ日がやって来る…
第1章 人生後になるほど面白く
コーヒーと団子を運んできてくれた方は、やはり町内の女性部長をしている方で見覚えがある。賢治は団子を口に運びアイスコーヒーを味わうことなくセカセカと飲み干した。
そして、「ありがとうございました。おいしかったです」と、お金を出そうとすると、「町内の方には無料券が出ていますからいいですよ。後から奥様から券いただいておきますから」と、言われ、「そうですか、ありがとうございますありがとうございます」と気もそぞろで店を出る。
店を出て賢治は一息大きく息をして「えーっ、どうなっているの? 俺は何も聞いていないぞ」と、腹が立つやら情けないやら、とても花見をしている精神状況ではなくなってしまった。俺は町内のことは全く知らない。定年になって毎日自宅にいるようになったら、俺も町内の行事に誘われることになりそうだが、こりゃ面倒というか大変だなと思うのであった。
孫に「おじいちゃん長生きしてね」と言われるが、ただ生きているだけで何が面白いか。
そんな爺様でも、子供の頃は貧乏で金もなく、ほったらかしで育てられ、親にとっては嬉しい存在であったが本人にとっての目標なんてほとんどなく、毎日喧嘩と駆けずり回るだけだが、とても生き生き過ごしていた。
子供の頃と同じように定年後20年以上あるなら、生まれた子が20年間生きるのと時間の長さは変わらないのに、子供の頃は生き生きと過ごし、人生の後ろの方はつまらなくぼんくらに過ごす。
70年も積み上げた経験を持っているのに面白く出来ない、楽しく過ごせないなんておかしいですよね。絶対におかしいですよ。
子供の頃は、見るのも聞くのも、参加することも出かけるのも、食べたり話したり、ちょっと道草するぐらいのことでも、とにかく何をしていても楽しく過ごせた。