当時の免許制度は、原付の上に軽二輪、軽四輪、自動二輪とあり、自動二輪免許があれば軽四輪も運転することができたのだ。
つまり今でいう軽自動車にも乗れることこそ、武司の本当の狙いだった。
武司の家の近所に「鎌田自転車店」という店があった。
名前こそ自転車店だが、二輪車からオート三輪など取り扱いは多岐にわたり、いわば中山家御用達の乗り物店だった。家族はもちろん店の商売で使う自転車から、四輪車まであらゆる乗り物をここで調達していた。
自動二輪車の免許証が交付されて数日後、なじみの鎌田自転車店の主人が、店舗兼住宅の中山家にやってきた。
ちょうど午後の休憩時間、家人はみんなくつろいでいた。皆がそろうこの時間帯に来るように武司が鎌田さんにあらかじめ頼んでおいたのだ。
鎌田さんは、武司が注文していた「スバル360」の中古車を届けに来てくれた。
しかし、何も事前に知らされていない両親は目を丸くして驚くばかりだった。
鎌田さんにしてみれば、中山の末っ子の注文に応じて納車の約束を果たしただけだったのだが、親にしてみれば、まさか十六歳の子供がそんな買い物をしていたとは知らず、たちまち蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
しかし母がボートを無断処分して大喧嘩となった時、武司をなだめるため軽い気持ちで「もし免許が取れたら軽自動車を買ってやる」と確かに言ったのだった。
言質を取っていた武司の作戦勝ちだった。
今さらキャンセルもできず、仕方なく鎌田自転車店に手形を切る父親の背中は怒りで震えていた。
義父中山政勝は小柄で日頃はおとなしい性格だったが怒ると激高し、子供から見ればかなり怖い存在であった。この時も相当こらえているなと、武司は感じた。
ただそれでも武司は車を手にする喜びでいっぱいだった。
かくして、ボートは「スバル360」に姿を変え、高校二年生のカーオーナーが誕生した。
得意満面の武司だったが、実はこの喜びも長くは続かなかったのである。
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