【前回の記事を読む】地元・墨田区ではない小学校へ、違う学校の制服で通う屈辱の日々…。その衝撃の理由は
第一章 企画と失敗を繰り返した幼少期
誰よりも大切な親友
小学校四年生になった頃から武司を取り巻く環境に少し変化が出てきた。
あれほど子供に干渉していた母が、気が付くと放任主義へと転換していたのだ。
「おそらく期待していた我が子の能力を見限ってくれたんだと思います。母の身勝手な性格によるものかもしれませんが、これで救われました。いつしか不眠症からも解放されていました。そして何よりクラス替えで親友と出会うことができたんです」(中山)
奥田慶一君との出会いは、武司にとって一大転機となった。
四年生から中学を卒業するまで武司は奥田君と兄弟のように過ごすことになる。
遊びの主導権は武司で、おとなしい奥田君は武司の提案に従ってくれた。
毎週土曜日、学校帰りに湯島天神下の彼の家へまず寄り、決まってサイダーと鉄火巻きをごちそうになり、日が落ちる前に武司の家へ泊まり込みで遊びに来るような仲になっていた。
彼につけられた中山家でのあだ名は「土曜小僧」。
さらに母親同士も気が合ったのか、互いの家の行事にも参加するようになる。
夏休みの前半は、まず彼の親戚のいる千葉県の保田海岸へ、後半になると長野県伊那市高遠町の武司の母方の親類の家へと出かけ長逗留した。
一人っ子の奥田君は大所帯の武司の家が物珍しかったようだ。
二人はいたずらに興じる。
「一番の楽しみは、2B弾で遊ぶことでした。現在は危険なため製造禁止となりましたが、爆竹を強力にした単発の花火です。たばこ状の形をしており、頭部に発火薬が塗られていて、マッチ箱の横の側薬にこすりつけ点火するのですが、破裂するまでの数秒間が、なんともいえないスリルなのです。
蔵前橋の上から、隅田川を行き交う船をめがけ、2B弾を落とすのです。風に流されるから命中はしませんが、驚いた船頭がそれを見つけると本気で怒っていました。捕まれば相当怒られたはずです。まあやんちゃでしたよ」と中山は当時を懐かしむ。
ある日「土曜小僧」が泊りがけで遊びに来ていた日、家族に加えて住み込み従業員たちも一緒にみんなで茶の間のテレビを囲んでいた。一緒にいた武司の実の兄である厚一が奥田君に対して態度が悪いと注意した。
武司にしてみればせっかく遊びに来てくれた親友を不愉快にさせたことが許せず、兄につかみかかり殴り合いの大喧嘩に発展した。使用人たちが武司をかろうじて押さえつけたが、四歳年上の兄を怖れさせるほどの凄みだった。